ウチナンチュは日本国籍を付与された一方で島ごと奪われ、沖縄戦では「国体」や本土の日本人を守るための捨て石にされた。
敗戦後は膨大な米軍基地を押し付けられ、いまも命・生活・人間の尊厳など多くを奪われ、抑圧されている。

朝鮮人は、頼んでもいないのに帝国臣民にされ、日本兵の下請け・弾よけとして最も危険できつい労役につかされた挙げ句、敗戦後は日本国籍を一方的に剥奪(はくだつ)され、国籍がないことを理由に戦後補償の対象から外され、「外国人」として排除、差別を受けてきた。

経緯に違いはあっても、植民地支配の対象とされてきた点では同じ位置に立たされている。

そして、私は「殺せ」と言われ、沖縄の友人たちは「ゴキブリ」「ドブネズミ」「売国奴」「土人」と言われ、まとめて「反日・非国民」とくくられている。
沖縄で起きていることは、私にとって他人事ではないのだ。

彼らの痛みは私の痛みでもある。在日としてこの国に生を受けた以上、見て見ぬふりは許されないと私は思っている。

「どんな発言にも表現の自由はある」と「中立公平」を装い、サイレント・マジョリティーの位置を確保して高みの見物(これこそが特権である)をする人々の沈黙によって、「在日」も「オキナワ」も、孤立無援の状態で表現の自由を奪われている。

差別と闘う責任は、被差別の側ではなく、差別構造を作り出し温存する側にこそある。
この国の主権者は、自らの社会から差別をなくすために払う努力を、主権を奪われたままの在日に押し付けてはならない。
同様に、沖縄に押し付けてもいけない。

新しい基地を作らせないという闘いは、ヤマトンチュ自らが政治の中枢部でなすべきであり、そうしなければ根本的な解決には至らない。

いまこそ、マジョリティーが矢面に立って闘わなければ構造は変わらない。
自分に火の粉が降りかからない限り動かない者が多数派の社会に、未来はないのだ。

デマを流し、政権の尖兵(せんぺい)として憎悪扇動を行うこの番組を、決して許してはならない。
あらためて、それだけは言っておきたい。