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▲「易地思之(ヨクチサジ)日本」

韓国と日本は互いに非常に似ていたところもあれば、あまり似ていないところもある国だ。似たところは両国で言葉の語順が同じだ。儒教と仏教文化も共有する。また、顔付きも似ている。しかし、これだけで単純に韓国と日本が互いに似ていると言えるだろうか?そのように問えば英国、フランス、ドイツも似ているといわなければならないかもしれない。

翰林(ハンリム)大シム・フン教授の「ヨクチサジ日本」(訳注:ヨクチサジは漢字で「易地思之」で「相手の立場になって考える」という意味」)は似ているように見える韓国と日本、両国の差異を克明に見せる本だ。特異な点は両国の差異を各国の天と地が表わした人々の歴史の中で探すということ。いわゆる日本の非凡な天と非凡な地を紹介することによって逆に私たち自身の固有性を見る助けになる。

雷を通して見よう。日本人なら幼かった頃、最も多く聞くことわざの一つが「雷がおヘソを狙っているから、お腹を隠せ」という話だ。これはそれだけ日本人たちが雷を恐れたという意味だ。日本列島はよく知られるように地震、火山、津波に毎年、台風を正面から迎えている。古くから列島の雷が他の国の雷のように平凡ではなかったことをことわざを通じて知ることが出来る。だからだろうか?雷が多くて被害も大きいと見ると日本のテレビの気象予報放送で雷が占める比重もやはり私たちと違って非常に高い。

「空が崩れても飛び出る穴はある」(訳注:どんな困難な状況でも抜け道はあるという意味)という私たちのことわざがある。しかし、日本は違う。地震、火山、台風、雷など自然災害に苦しめられる日本人たちには想像もできない失礼な「生の哲学」でしかない。

一年にフィリピン周辺の太平洋上空で発生する台風の数は平均27程度、このうち日本に直接上陸する台風は3つ程度という。しかし、列島近隣(300キロ以内)まで接近してくる台風を含む場合には何と11程度に達する。そうしてみれば気象庁が法務省や外務省、財務省と同じ上位官給機関に格上げされても全くおかしくない国が日本だ。

人口の話をしてみよう。丁酉災乱(慶長の乱)が終わって2年後の西暦1600年10月。日本で歴史上最大規模の戦闘が起きる。徳川家康の東軍と豊臣秀吉の右腕、石田三成の西軍が乾坤一擲の戦闘を行ったのだ。両軍を合わせると18万人余り。朝鮮との7年間の戦闘にもかかわらず、わずか2年でこのような大規模な兵士たちが戦闘を行えたのは私たちと日本の人口が違ったためだ。著者は歴史的に見る時、日本の人口はいつも韓半島より数的上位にあったと主張する。36年間、植民支配された理由の一つも人口格差に求める点が特異だ。

学校ごとに分けられた同じ帽子をみなかぶって「ランドセル」と呼ばれる四角リュックサックを持ち、高学年生の引率の下、列をなして登校する子供たちの姿も私たちとは違った見慣れない風景だ。運動会というよりは巨大な集体劇を視察するように感じる。個性的な個人生活を許されず同質的な集団生活で生涯を生きなければならない社会。周辺をすべて真っ赤に覆う注意表示板と禁止表示板。翼が生えたように売れる弁当形態の食べ物。著者は「人が翼を広げて思う存分行動するようにするよりも臆して周辺状況を見回わさせる魔力が存在する場所がすなわち日本社会」と話す。

日本人たちは天から落ち地から吐き出されるあらゆる自然災害を数千年間、全身で受けて永い歳月を火山帯の険しい場所で生きるほかなかった。そのような理由で強い対象に対しては常に順応して服従してきたが、自分が強者にのぼった場合、自然に周辺を服属させようと考えるのが日本人たちの生存論理であり生存法則だった。

そのような意味でこの本は台風と洪水から命を救うために、地震と津波から脱出するために、サムライの刀と軍部政権の暴政から生存するために「恥」と「罪悪感」の中に頑丈な人生を粘り強く営む他なかった日本人たちの悲しい歴史を教えてくれる。

釜山日報/チョン・タルシク記者

ソース:金海(キムヘ)ニュース(韓国語) 自然に順応して生きてきた日本の悲しい歴史の本(BOOK)
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