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明仁(84)日王は韓日ワールドカップ目前の2001年12月の記者会見で韓国をどう思うかという質問に次のように答えた。
「日本と韓国の間に深い交流があったことは『日本書紀』等に詳しく記録されている。宮内庁(王室を管理する政府組織)楽士の中には移住者の子孫で今も代々雅楽を演奏する人がいる。
私自身、桓武日王の生母が百済武寧(ムリョン)王の子孫だと『続日本紀』に記録されていることに韓国との縁を感じる。武寧王の息子、声明王は仏教を伝えたという。(中略)しかし、残念なことに韓国との交流はこの様なことだけではなかった。この事実を私たちは忘れてはいけない。」

明仁日王が残念に思ったもう一つ別の交流は16世紀末、日本の二度に渡る朝鮮侵略、特に20世紀の朝鮮占領と推定できる。

彼が敗戦記念日の一昨日、「全国戦没者追悼式」で「過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願う」と話した。この様な言及は日帝の様々な戦争と共に「縁を感じる」韓半島を見る複雑な感情の表出であろう。

4年目の同じ行事で「深い反省」という表現を使った彼だが、一昨日が最後の追悼式出席だった。来年4月30日に生きているうちに王位から下りる「生前退位」をする。

明仁は健康ために公務を正しく遂行できないと退位を打診した。しかし、安倍晋三総理の反対にあって意図を成し遂げられなかったが、2016年8月、テレビで直接明らかにして急流に乗った。NHKの世論調査で84.4パーセントの圧倒的な支持で国民が賛成した。安倍政府もやむを得ず生前退位の制度化を望む王室の意に反して1回限り容認する側に法制化した。

反戦の象徴である現行憲法を「平和と民主主義を守らなければならない大切なもの」と話す明仁日王が改憲を一生一代の念願とする安倍総理にとって邪魔な人であろう。

明仁日王夫婦が昨年7月、高麗神社を訪問すると、すぐに右翼勢力は日王を「反日左派」と非難したことがある。この神社は1300年前、東京近隣の埼玉地方に移住した高句麗人・若光が作ったことで韓半島と縁が深い。

1989年、平成時代を開いた明仁は盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の訪日の時、植民支配について「痛惜の念」という表現を使って謝ったことがある。2005年、サイパン訪問時は韓国人戦没者慰霊塔を訪れた。

彼の退場が日本社会と韓日関係にどんな影響を及ぼすのか予測しにくい。イ・ナギョン総理が現日王の訪韓を要望したことがあるが、日本政府が承認するはずがなく、次期日王の徳仁王世子にでも期待してみることだ。

ファン・ソンギ論説委員

ソース:ソウル新聞(韓国語) 平成日王の反省/ファンソンギ論説委員
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20180817031002