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B『セマウル運動』により1976年の農村電化率は何と91%に達した。
しかし朴正熙はその後金載圭により暗殺される。
その後『中進国』になった韓国では長い朴正熙軍事独裁政権からの民主化を求める運動が起こったが
弾圧される(光州事件)。
後を継いだ全斗煥は、朴正熙暗殺による経済のマイナス成長を立て直し、1981年に後の韓国に大きな
影響を及ぼすソウルオリンピックの招致に成功した。名古屋市を破ったことは日本に対する劣等感を
完全に払拭し、国際社会に華々しく登場した(なおオリンピック開催構想はいきなり思いついたものでは
なく、朴正熙の時代からあった。朴正熙は90年代初頭の招致を目指していたが、名古屋市が招致してし
まうとその可能性が消えてしまう為、全斗煥は88年立候補に前倒しした)。
オリンピック招致により、東京オリンピックの日本の後を追うように国内のインフラ整備が飛躍的に進んだ。