0751<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
2018/10/18(木) 21:11:44.36ID:15WFOPrj■ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡・日本」
1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が「請願」したからであった。
パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。
トリート教授によれば、日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げていた。
そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである」
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んでいなかった。
■上海・申報 1910年9月1日より
韓国は滅んだ。しかるに韓国の皇帝はニコニコとし、韓国の家臣は喜び、太上皇(高宗)もまた恨みを残さない、均しく外国の籠遇を得意としているようだ。ただうつうつとして不平を抱いているのは韓国の学生だけだ。
■アレン・アイルランド 1926年
多くの資料を収集して調査した結果、筆者は、従前の王朝時代や同民族から支配を受けたいかなる時代よりも、
植民地支配を受けている今の韓国の統治のほうがずっと良いと判断する。
韓国国民の全般的な生活条件が驚くほど改善しており、韓国の繁栄ぶりは注目に値する。
毎年監獄が増えて条件が改善した結果、少なくとも大型化された監獄は多の国の監獄に匹敵する状態にあり、
アメリカ国内の大部分の監獄よりずっと良い状態だった。
ひとつの興味深い事実は、1918年に466校だった韓国の小学校が、1922年になると890校に増え、政府支出も183万5千円から1330万9千円へと8倍にも増えていることだ。1918年を基準にみると、
教育費のうち韓国人の負担は10%で、残りは政府補助金が充当された。