>>128
長州藩は1864年8月20日の禁門の変で御所に向けて大砲を撃ち込んでいる
その大砲の砲弾で孝明天皇が亡くなっていれば未必の故意の殺人になるわけで
長州藩は都合の悪い天皇を殺めることを躊躇しない藩だった