済州島四・三事件

場所 韓国・済州島
日付 1948年4月 - 1949年5月
標的 済州島の島民
攻撃手段 反乱の鎮圧
死亡者 14000〜30000人、或いは全ての戦闘で死亡した国民の5分の1
犯人 南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島の李承晩支持者など
動機 国家警察および韓国でのみ開催された選挙に対する抗議を鎮圧すること
済州島四・三事件
各種表記
ハングル: 제주 4•3 사건
漢字: 濟州 4•3 事件
発音: チェジュ サ サム サコン
日本語読み: さいしゅう よんさん じけん
英語: Jeju massacre

済州島四・三事件(チェジュドよんさんじけん)は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮の済州島で起こった島民の蜂起に伴い、
南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島の李承晩支持者などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。
戦前から済州島に穏やかに暮らしていた人々が、親族を頼るなどして戦後の日本に密入国して在日韓国・朝鮮人になる原因になった。
南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による大粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。


韓国政府は済州島において人類史に残るような大虐殺を行っているのに、そのような太極旗が済州島に入港することこそ理解できないわけですが