日本は、国土はアジアにありながら、国民精神においては西洋の近代文明を受け入れた。
ところが日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である。
そのひとつは支那であり、もうひとつは朝鮮である。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、
同じ古典を共有しているのだが、もともと人種的に異なっているのか、
それとも教育に差があるのか、
支那・朝鮮二国と日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、
近代文明や国際法について知りながら、
それでも過去に拘り続ける支那・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、
教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、
現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、
たとえば国際的な紛争の場面でも
「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

130年も前に福沢諭吉が唱えた「脱亜論」の現代語訳(抜粋)