【天皇】 明治維新150周年、本来の主人公である日王「明治」が見えない理由は?〜実像は極めて平凡な小国の君主だった[10/23]
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▲日本の近代化を意味する「明治維新」の主人公として知られた日王明治(1867〜1912)の姿。みすぼらしく見える容貌(左)を補完するために写真の上に絵を重ねて描く方式(右)で公開用写真は補正をしたことが分かっている。(写真=ウィキペディア)
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▲日本の公営放送NHKで明治維新150周年特集として放映中の「西郷どん」の主人公、西郷隆盛。(写真= NHKホームページ)
「明治維新」150周年記念行事が日本の主要な話題に浮上しながら全世界的関心を受けている。明治維新は日本国内ではアジア地域初の自発的近代化運動で今日の現代工業大国、日本を作った土台とされるが、我が国をはじめ日帝侵略を体験したアジア周辺国にとっては日帝の軍国主義亡霊が胎動した時点と見なされる。
日本は最大限過去の問題は縮小し、「明治産業革命」という名称でこれを包装しようとしている。この過去の歴史包装の中で、本来の主人公である日王明治は正しい姿さえ分からないほど深刻に歪曲されている。
NHKなど日本現地メディアによれば、23日、日本政府は明治維新150周年行事を大々的な政府公式行事で開催する。全国で85に及ぶ維新関連行事を開いて、特別インターネットサイトも開設した。また、公営放送のNHKでは過去、征韓論を主張した明治時代の政治家、西郷隆盛の一代記史劇ドラマも放映中だ。しかし皮肉にも明治維新の象徴といえる日王明治と関連した内容はなかなか探すことができない。
現代日本でも明治維新といえば通常「維新3傑」という人物が大きく浮かび上がる。これらは征韓論を主張した西郷隆盛、内政論者に分類される大久保利通、木戸孝允等、当時西欧化を主導した下級武士出身の政治家たちだ。
明治維新当時、日王明治はまだ十六才、10代の青年に過ぎなかった。明治維新が始まった1868年10月23日は彼が即位して1年8カ月程過ぎた時であり、彼の即位式が開かれてからせいぜい10日程度過ぎた後であった。しかも当時まで日王は何の実権もなく、何と700年間幕府治下を耐え抜いた状態であり、日王配下の兵力は京都王宮の守備兵力400人余りが全部であった。
1867年から1912年まで45年も王座に座り、現代日本と右翼勢力からは何と「大帝」という称号で呼ばれる人物だが、維新と関連した業績が詳細に紹介されたり彼の英雄的一代記が描かれた二次著作物は簡単に探すことができない。彼の業績は大部分、曖昧に記述されたり、優秀な臣下らの助けで国を救った名目上の国王の姿であらわれるだけだ。
名前は明治維新だがこのように本来、明治があまり出てこない理由は彼のイメージの大部分が徹底して包装されているからだ。まずイメージ操作が入った部分は彼の写真だった。よく教科書や歴史書物で会うことができる彼の写真のうち実際の彼の姿を現わしている写真は珍しい。明治は国王としての気品が優れたり容貌が立派でなかったためだ。彼は全般的に矮小だったし、容貌が優れてもおらず、幼い時に病んだ天然痘によって顔はあばただらけだったという。一国の国王として主張するには立派な姿を期待できなかった。
(中略)
明治政府の時期から日王明治を直接的な看板スターとして掲げることが難しい理由はもう一つある。明治維新という名称とは異なり、明治という人物は近代化、西欧化にとても消極的な人物だった。日本宮廷礼法研究者である米窪明米が書いた「天皇の一日」で明治は宮廷も西欧化しなければならないという大臣たちの要求にも強く伝統宮廷の姿を維持しようとする復古的な人物で描写される。
明治は西欧医師をまったく信じず、死ぬまで漢方医学を信奉し、写真や映画なども嫌いで書道や茶道のような伝統的な行事に執着した人物で知られる。一方で日本王室伝統の一夫多妻制を守った明治によって当時、日本は西欧諸国に相変らず遅れた社会と見なされ、これにより次の日王になった大正の時、日本政府は日王の一夫一婦制を強力に主張して貫徹させた。
明治産業革命という包装されたイメージの中に隠された実際の彼の姿は、極めて平凡な伝統時代東洋の小国君主に過ぎなかったわけだ。
イ・ヒョヌ記者
ソース:アジア経済(韓国語) 明治維新150周年、本来主人公の「明治」が見えない理由は?
http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2018102311170527941 >>634
みんな両班にはなりたいけど、李王家には微塵も敬意を払っていなかったからな
李王家の帰国を許さなかった李承晩は両班を目指していたけど、体制が崩壊したせいでなれなかったから王家を逆恨みしてあた ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)
要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3〜20年、
東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。・・・・私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、
どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。
あやまられた歴史は書き変えなければならない。(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所で 田母神俊雄氏「日本は韓国に舐められている。大人の対応ではなく強い経済力で経済制裁し反撃を」[>
朝鮮人の扱い方
【 旧日本陸軍の朝鮮兵に対する注意書き】
.一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭、体を叩いてはいけない。怨みを持って復讐する気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。
【米軍による韓国兵の扱いマニュアル 】
1.韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。 2.命令を聞かない場合は身体で解らせろ。
3.同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。こちらが上と言うことを身体で解らせろ。
4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。
5.身体で解らせた場合、根に持つ場合があるので、後で身辺には気をつけて行動しろ。但し、徹底的に解らせる迄、手を抜いてはいけない。
6.相手を3才児と思い、信用したり頼りにはするな。重要な仕事は任せるな。
【 旧ソ連共産党による朝鮮の扱い方 】
1、頭痛の種になるだけだから関わるな 2、手段を選ばぬキチガイ揃いだから関わるな
3、関わるとこっちが痛い目に遭うから関わるな 4、関わってきたらウォッカ飲んで忘れようぜ 「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945
ジョージ アキタ (著), ブランドン パーマー (著)
この本は欧米の植民地統治との比較もおこなっている。一部渡航制限などはあったが
その統治は九割方穏健で公平であった。欧米は植民地に初等教育など行なっていない。
欧米は軍において現地人を士官学校にも入れなかった。日本軍には朝鮮人中将まで存在していた。
初期には朝鮮財政の75%を負担し終戦時でも25%を負担していた。議員にすらなれた
日本は搾取などしていない。朝鮮半島の近代化は日本が行なったのだ。 まぁバ韓国人には日本における天皇の役割は理解できない 【西論 「終戦の日」特別編】http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/photos/140816/waf14081607000005-p1.htm
「敗戦国史観」脱却しよう…中韓の雑音に惑わされず、父祖と子孫の名誉を守るために
2014.8.16 07:00 (1/4ページ)[正論・西論]
終戦の日、靖国神社には朝から大勢が参拝した。参拝にのぞむ超党派議連「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」会長の尾辻秀久元厚生労働相、高市早苗自民党政調会長ら=15日午前、東京都千代田区の靖国神社(三尾郁恵撮影)
歴史をめぐる中国、韓国からの圧力がかつてない高まりを見せるなかでの、8月15日となった。中韓からの雑音にたじろぐことなく、戦没者を静かに悼みたい。その遺志を継ぐことは、後世に生きる国民の責任である。
8月15日は現代の日本人にとって、二重の意味で原点をなす。1つにはこのように、先人から託されたものを自覚すべき日だからだ。さらに1つ、敗戦国の国民として生きるという運命がこの日に決まったからでもある。
戦勝国−敗戦国という戦後体制は理屈でいえば、次の大戦があるまで変わらない。「戦後国際秩序への挑戦」などと中国が騒ぐ歴史戦争も、この体制を利用し日本をおとしめようとしているわけだ。
しかし日本人は毅然(きぜん)として生きていきたい。実際にそんな日本人の姿をあちこちで見るようになったと思う。
慰安婦問題に関する過剰な宣伝により、日本の名誉が不当に傷つけられていると多くの日本人が感じているだろう。声を上げようとしているだろう。歴史戦争はむしろ日本人に日本人であることを自覚させ、不当な侮辱に国民として立ち向かわせようとしている。
ヘイトスピーチのたぐいは別として、背筋を伸ばして立ちあがろうとする日本人の姿を筆者は美しいと思う。父祖と子孫の名誉を守るためになされる利他の行為であるからだ。
戦わず屈服さすことが最上等…中国の「謀略」を知ろう
歴史戦争は今後も続く。私たちは東アジアの構図をよくわきまえておきたい。
中国には、はかりごとを重視する古典兵法以来の歴史がある。兵とは偽り欺くことだ、とすでに「孫子」にある。現代の「三戦」の概念にもそれは反映されている。世論戦、心理戦、法律戦の3つで、2003(平成15)年、人民解放軍の政治工作に盛り込まれた。 日本人だけが知らない…世界中で反日「歴史戦」を展開中
国内、国外の世論の支持を得るのが世論戦。アメリカでのロビー団体の反日宣伝など、それであろう。敵の士気をくじくことが心理戦。日本のなかに反日本的な勢力を作ることも、その手段となる。歴史問題で自らを卑下してやまない左傾勢力が、
すでに日本のなかにできてしまっている。それは中国の思うつぼなのである。戦わないで相手を屈服させることが、「孫子」においても最上とされる。歴史戦争とは、はかりごとにより日本人の士気をくじき中国の覇権を拡大する手段といえる。
中国は、伊藤博文を暗殺した安重根(アンジュングン)の記念館をハルビンに作るなど、歴史認識で共闘姿勢を見せて韓国をうまく使ってきている。韓国には、中国に事(つか)える事大主義の伝統がある。
自らを世界の中心とみなす中国の華夷(かい)秩序に従属してきたのが、李氏朝鮮である。また韓国は建国史において、反日をいわば国是とする。その憲法は前文に、日本からの独立運動の伝統を継承することをうたっている。
中国と共闘する素地はじゅうぶんなのだ。 中国の覇権主義が続く限り、中韓による日本への歴史戦争も続く。
敗戦国史観の克服
横暴な圧力にさらされる日本の歴史だが、この国の歴史はその始まりの西の地から、現代にも通じる指針を教えてくる。
「日没する処」の国(中国)に「日出ずる処」の国として向き合った古代の精神は、現代においても呼び出され、かがみとされるべきものだ。
華夷秩序に従属しない対等外交の姿勢であり、独立自尊の精神ともいえる。
占領政策で「日本人に戦争の罪悪を知らしめる」…“残虐”日本軍を刷り込む新聞
昭和20(1945)年8月15日をもって日本は大きく変わった。しかし連綿と変わらないものもある。この自尊心も、多くの日本人に共有されているだろう。慰安婦問題で日本の名誉が不当に汚されていると憤る人の心のうちにも、それは脈々と流れているのではないか。
同時にこの精神は、日本の戦後を相対化して見ることも求めてくるだろう。連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策の1つ、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムとは、日本人に戦争の罪悪を知らしめること。
それに基づき20年12月、GHQは日本の戦争を罪悪として描く新聞連載を始めさせた。 南京事件など日本軍の「残虐さ」も強調され、同じ趣旨のラジオ番組も放送された。
戦後の日本人は、そのようにしていわば敗戦国史観を植え付けられてきたのだった。
それはアメリカでは裏返しの戦勝国史観となり、一部でいまなお根強い反日世論を形成している。そのような世論が首相の靖国参拝を非難し、南京事件や慰安婦問題の事実を検証する動きに「歴史修正主義」などのレッテルを貼るのだ
。慰安婦碑・像の設置をはじめ、中韓はアメリカのこうした世論を利用しようとしている。
歴史戦争は、中韓との戦いであるだけではない。アメリカのこうした世論との戦いでもあり、日本人が敗戦国史観をどう克服するかということにつながってくる。
〈私は日本を近い将来に大きく眺める立場となるであろう。私は日本を離れるのであるから。そのときこそ、私は日本をほんとうの意味の祖国として郷土として意識し、
その清らかさ、高さ、尊さ、美しさを護(まも)るために死ぬことができるであろう〉(吉田満「戦没学徒の遺産」より)
そんな戦没者たちが、私たちをじっと見ている。
【河村直哉の国論】ここまで日本人を信頼できないのか、朝日新聞の慰安婦「検証」は言い訳・責任逃れ・開き直り…「中国への迎合」「ご都合主義」 金 美齢氏
国の礎となった父祖たちとの”約束”を反故にしてはならない
●死者と生者との約束事
・「自国の戦死者を、威儀を正して最高の儀礼を以って追悼するkとを禁じられた国民が、この地上のどこにあったろうか。国人よ、誰に謝罪するよりも前にそのことを嘆け。
そして、決して屈するな」
●日本のために戦って死んだ父祖について日本人自身がとやかく非難するのは、これは忘恩の徒であって、歴史の教訓を汲むこととは何の関係もない。また外国人が靖国神社に参拝する人たちを非難し、
ことさら外交問題に仕立てて口を挟んでくるのは、これは無礼の極みと言うほかない。
●慰霊を蔑ろにすることでもたらされる堕落・国のために命を投げ出してくれた父祖への感謝の念、その時代への愛惜の念、そうした人間として自然な情感を示すだけでなく、靖国神社が今後も存在し続けること、
日本人がそこに参拝し続けることは、「靖国で合おう」と言い残して散華していった父祖たちとの”約束事”ではなかったのか。
これを反古にすることは、倫理的にも、道徳的にも、決定的な堕落を日本人にもたらすことになりかねない。こうした”慮りと畏怖の念”が、いまの日本人に稀薄なことが私には残念でならない。
●悲しいことだが、いつでも侵入し破壊し殺戮しょうとする外敵というものはいるので、自分達が戦って食い止める他はないから、そこで他者の為に死ぬ人が出てくるのである。その人たちに感謝を捧げるのは当然だろう。
「日の丸も君が代も拒否して、今日の日本の恩恵だけを享受しょうという人たちとは大きな違いだ」。 【歴史】元寇・文永の役…モンゴル・朝鮮(元・高麗)軍が日本で行った“殺戮”、日本の武士「勇敢にして死をみること畏れず」[06/08]
(MSN産経ニュース) http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140608/wlf14060807000012-n1.htm
今から740年前、中国全土をほぼ手中にし、日本も従属させたいモンゴル帝国(元)皇帝のフビライ・ハーンは朝鮮半島を治める
高麗と連合で3万以上の兵を派遣する。元寇(げんこう)と呼ばれる日本本土が2度にわたり侵略を受けた事件である。対する日本は
鎌倉幕府執権・北条時宗の命で集まった御家人ら約1万人。武勲をあげて所領拡大を目指した御家人らの士気も高かったが、
兵力の差もさることながら、集団戦法と未知の兵器を前に日本の武士は次第に翻弄されていった。
■突貫作業
元への服属を求めるフビライの国書を携えて日本に渡った使節がたびたび追い返されたため、業を煮やしたフビライは武力による
日本進攻を決意。軍船を造るにあたって、文永11(1274)年1月、戦艦300隻など軍船の建造を高麗に命じている。
平成23年、長崎沖の海底から弘安4(1281)年の2度目の元寇で使ったとみられる沈没船が見つかっている。ほぼ完全な状態
だったため復元してみると全長が27メートルに及んだ。
これは当時の海外渡航用の貿易船と同じ構造で、一隻で100人程度の兵士が収容できる規模だったといい、1回目の進攻作戦でも
このような船を求めたことだろう。
だが、日本に大船団を出すのに風向や潮の流れなどを考えると、建造期間は半年しかなく、元が派遣したホン・タグの指揮の下、
高麗は約3万人の労働者を動員して、昼夜関係なく突貫に次ぐ突貫の作業だったという。
その様子は、「疾(はや)きこと雷電のごとし。民、これに苦しむ」などと表現されている。
しかし、このときの現場を監督するキム・バンギョンは、強固な船だと期限内の完成は難しいと判断。費用が安くて簡単な構造の
高麗船でしのぎ、期間内に高麗が造った船は大小900隻に達する。
そして総司令官のキントが着任後の10月3日、総勢3万人以上からなる兵を収容した船団は合浦(がっぽ)(現在の大韓民国馬山)
から出港する。兵の3分の2はモンゴルと中国で、あとの3分の1が高麗だった。 ■上陸許す
連合軍の船は、戦艦のほか上陸用舟艇、補給船などからなり、日本近海は巨大なマストがたなびく、おびただしい数の軍船で
埋め尽くされていた。
時宗も高麗へ送り込んだスパイから間もなく攻めてくることを察知し、上陸が予想される九州北部の日本海沿岸に兵を配するも、
まずは数で圧倒されることになる。
10月5日、対馬の小茂田浜に上陸した元・高麗連合軍により、島を守る対馬守護代、宗資(助)国ら80人の兵や島民はことごとく
殺害される。
壱岐でも惨殺を繰り返し九州沿岸に迫ってきた連合軍に16、17の両日、肥前・松浦や平戸島、鷹島などが次々に攻められ、
討たれた兵の数は数百にのぼったともいわれている。
対馬、壱岐での敗戦の報に接した御家人らはただちに九州の拠点・大宰府へ向かい、その結果、九州の御家人を統括する鎮西奉行・
少弐資能(しょうにすけよし)の3男、景資(かげすけ)を総大将に集まった兵は約1万人。
だが、元・高麗連合軍の動きは早く、20日に主力部隊の博多上陸を許す。3方から上陸する兵力は2万人で、日本側の数はその半分
に満たなかったのだが、それでも士気は高かった。 写真=元寇での福岡・鳥飼潟の戦いを描いた図
http://sankei.jp.msn.com/images/news/140608/wlf14060807000012-l1.jpg
写真=生の松原の防塁前を、馬に乗って堂々と行進する竹崎季長
http://sankei.jp.msn.com/images/news/140608/wlf14060807000012-p3.jpg
地図 http://sankei.jp.msn.com/images/news/140608/wlf14060807000012-l8.jpg >>
<祭の国ー日本>(祭りの心と日本の心)
・「借金を いさぎよくする 祭りまえ」(江戸時代の川柳)
・「村内安全五穀成就、更に一歩進めては天下泰平と日月清明をまで念じていて、是には一郷の者が一人も背馳しなかったのである」。
・「清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよい逢ふ人みなうつくしき」(与謝野晶子)
<日出づる国の旗と歌の心>(天地とともに生きる心)
・日の丸が国旗として正式に法令化(太政官布告)されたのは明治3年のこと。
・日の丸の歴史は「往古天皇の御旗に日月を章とせられ・・・源平時代の武士は好んで之を扇面に画き・・・彼の那須与一が射たるも亦日の丸の扇。
・日の丸を否定することは、日本そのものを否定することになる。
・皇室のお陰で我国がどれだけ平和と安定を得てきたかを一つ考えてみても、やはり皇恩としか言いようが無い。
・君が代のめぐみの露もおきそへて なびく稲穂の秋のたのしさ(本居宣長)
・山のおく野の末までも白雪の 深きめぐみにもれぬ御世哉(本居宣長)
・「天地と限りあらめや大君の御世は日ごとに出る日のごと」(本居宣長)
・「とことはに世を天照す日の本の 国の栄えぞかぎり知られぬ」(本居宣長)
・万物はみな神様であり、すべて同じ生命をもってお互いにつながっている、即ち万物みな兄弟というこの心こそ真の平和の心でもある。
・「さざれ石のなれぬ岩ほに苔むして、たてる松もや八千世へにけん」(本居宣長 .
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~~~~~~~YW~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >優秀な臣下らの助けで国を救った名目上の国王
そういう「優秀な臣下」を抱えられるってのが、既に名君の証なのだが >>658
本人は出しゃばらないで優秀な部下を見出して彼らに存分に力を発揮する
機会を与える上司とか最高ですよね >>121
「兄」の国じゃないの?それとも、アッー?? >>661
日本に独立させてもらった情けない国があるよね隣に。 ■号の由来
孫文は日本亡命時代には東京府の日比谷公園付近に住んでいた時期があった。
公園の界隈に「中山」という邸宅があったが、孫文はその門の表札の字が気に入り、自身を孫中山と号すようになった。
日本滞在中は「中山 樵(なかやま きこり)」を名乗っていた。なお、その邸宅の主は貴族院議員の中山孝麿侯爵で、孝麿の叔母中山慶子(中山一位局)は明治天皇生母である。
中華民国の国立中山大学および中華人民共和国を代表する大学のひとつである中山大学、南極大陸の中山基地、
そして現在台湾や中国にある「中山公園」、「中山路」など「中山」がつく路名や地名は孫文の号・孫中山からの命名である。
■日本との関係
孫文は生前、日本人とも幅広い交遊関係を持っていた。犬養毅の仲介を経て知り合った宮崎滔天や頭山満・内田良平らとは思想上も交遊し、資金援助を受けてもいた。
また、実業家では、松方幸次郎、安川敬一郎や株式相場師の 鈴木久五郎、梅屋庄吉からも資金援助を受けている。
日本滞在中に日本人女性と結婚して孫文に非常に良く似た容姿の娘をもうけた。
ほかにも日本陸軍の佐々木到一が軍事顧問にもなっている。ほか、南方熊楠とも友人で、ロンドン亡命中に知り合って以降親交を深めた。
また孫の自伝『建国方略』の文書中では、犬養毅・平山周・大石正巳・尾崎行雄・副島種臣・頭山満・平岡浩太郎・秋山定輔・
中野徳次郎・鈴木久三郎・安川敬一郎・大塚信太郎・久原房之助・山田良政・宮崎寅蔵(滔天)・菊池良一・萱野長知・副島義一・寺尾亨の名前を列挙し、深く感謝の意を表している。 韓国では昔から日本人を猿呼ばわりしてきたんだ
人種差別なんて女々しい考えするんじゃないよ! 移民決定で日本の国体は解体されていくからな
日本はもうどんどん変わっていくよ こっちみんなヒトモドキ
チョンごときに何も言わせない しかしどう勘違いしたら”本来の主人公”なんて思ったんだ?
御輿ではあるけど、主体的なもんじゃないよねw 議会制の立憲君主国で主役を国王だと思い込むのは、
朝鮮人がまだ近代を理解していないということ >>673
大統領におねだりすれば、なんでもやってくれると思っているしな >>672
そうだよ
国家元首だの現人神だの言ったって、所詮はヒゲのとっちゃんぼうや
神輿が勝手に歩ける言うんなら歩いてみいや、のう? データを引用すると、明治維新の直後の日本の歳入は1255万石であるのに対し、朝鮮は96万石で、朝鮮は日本の総歳入の13分の1だったので、
比較することに恥ずかしさを感じるべきだというのが当時の状況。
自称大中華な中国も、達成すべき経済目標に比べると、領土と人口が多いだけで、歳入は約1000万石で、日本よりも劣っていた。江戸時代、大阪コメ市場を中心にして、
全国に市場経済システムを構築し、発展し、経済的な意味において中央集権、すなわち資本主義を成し遂げていた日本とは異なり、
果物や野菜を作ってそのまま消費するレベルから朝鮮は脱することができなかった。
資本主義はおろか私有財産の保証さえもない堕落した中華圏の実態だったのに、これが中央集権だと主張するのは、人類の歴史に対する冒涜である。 >>673
ほんこれ
↓スレ見てもわかるけど、専制君主制と立憲君主制の区別ついてない
【韓国】 「強制動員公文書の最終決裁者は日王…責任は明確」〜韓国の大学教授が分析[10/22]
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1540214726/
ましてや、なんで立憲君主制という制度が出来上がったのかっていう歴史的経緯なんて理解できるはずもなく
天皇親政と天皇親裁の違いなんて絶対に理解できないだろうな 日本のことが羨ましくてしょうがないようだね。
日本という国は天皇が頂点に立つ国だ。
天皇家が神話も含めて2600年統治している。
朝鮮など本当の自主国家という点では何年あるのだろう?
朝鮮時代は500年だが、清の属国だ。
朝鮮半島にできた国で完全な自主国家なんて一度も無いのだ。
日本人には理解できない部分であり、相対的に朝鮮人にも理解できないのが日本なのだよ。
ナンバー2が天皇家を脅かそうとすると突然にナンバー2が滅んでしまう国、日本。
しかし国政は常にナンバー2が牛耳る国、日本。
不思議だよなあ。そりゃあ。 あと「日帝」といいながら「日王」と呼ぶ矛盾にも気付いていない
漢字を捨て、歴史をプロパガンダの道具としてしか認識せずに真面目に研究・教育しないからこんな痛々しい事になってる >>405
日本を猿って言うのは、その昔、バナナが日本経由でしか
輸入できなくて、バナナ=日本、って印象だったからだぞ。 李朝の末裔を日本で客死させたバカが語るな、このバカ >>676
近代の歴代天皇陛下が自ら現人神と言ったことは無いんだけどね。 >>685
徹頭徹尾、時の権力者の道具だったからなぁ この文章を読むとイザベラバードの朝鮮王族評を思い出す。おそらく同じことを書きたくて書いたのだろう。
朝鮮人は鏡を見て自分の欠点を見ながら「日本がー日本も―」という妄想脅迫概念をもっている。
同時に国王の高宗にも謁見しています。高宗は歴史的には、主体性がなく弱気で、外国に翻弄された挙句国を滅ぼした無能な君主という評価がありますが、
バードも「人は好いが君主としての器量に欠ける」と述べています。
国王は背が低くて顔色が悪く、たしかに平凡な人で、薄い口ひげと皇帝ひげを蓄えていた。落ち着きがなく、両手をしきりにひきつらせていたが、
その居ずまいやものごしに威厳がないというのではない。国王の面立ちは愛想がよく、その生来の人の好さはよく知られるところである。
会話の途中、国王がことばにつまると王妃がよく助け舟を出していた。
高宗と閔妃の息子は、後に純宗という名で李完用ら親日派に担がれて国王になる人物です。韓国併合後は王族として暮らしています。
純宗は知的障がいがあった可能性が指摘されており、バードも謁見時にそのように感じています。 皇太子は肥満体で、あいにく強度の近視であるのに作法上眼鏡をかけることが許されず、そのときは
わたしに限らずだれの目にも完全に身体障害者であるという印象をあたえていた。
彼はひとり息子で母親に溺愛されていた。王妃は皇太子の健康についてたえず気をもみ、
側室の息子が王位後継者に選ばれるのではないかという不安に日々さらされていた。
(中略)謁見中の大部分を母と息子は手を取り合ってすわっていた。
その後バードは3週間に3度にわたって謁見を繰り返し、
「好人物だが意志薄弱で人の言いなりの国王」「キレ者で王を良いように操る王妃」
「実権を閔妃から取り戻すべく陰謀を企てる国王の父・大院君」を中心に繰り広げられる王族たちの戦いに国政の混乱の元を見ますが、
国王夫妻とのふれあいはバードに好印象を与えた >>681
ハングルだと「日本軍=日帝」なんじゃね? 慮のこもったやさしさ、卓越した知性と気迫、そして通訳を介していても充分に伝わってくる話術の非凡な才能に感服した。
その政治的な影響力がなみはずれてつよいことや、
国王に対してもつよい影響力を行使していること、などなどは驚くまでもなかった。王妃は敵に囲まれていた。
国王の父大院君を主とする敵対者たちはみな、政府要職のほぼすべてに自分の一族を就けてしまった王妃の才覚と権勢に苦々しい思いをつのらせている。
(中略)王家内部は分裂し、国王は心やさしく温和である分性格が弱く、人の言いなりだった。
そしてその傾向は王妃の影響力がつよまって以来ますます激しくなっていった。(中略)しかし不幸にも、また国にとってはさらに不幸にも、
その声明が国の法となる立場の人間にしては、彼はあまりにも人の言いなりになりすぎ、気骨と目的意識に欠けていた。
最良の改革案なのに国王の意志が薄弱なために頓挫してしまったものは多い。絶対王政が立憲政治に変われば事態は大いに改善されようが、
言うまでもなくそれは外国のイニシアチブのもとに行われないかぎり成功は望むべくもない。
(中略)国王は統治者としてはきわめて勤勉で、各省庁の業務全般について熟知し、膨大な報告と建白を受け、
政府の名のもとに行われるすべてのことがらを気にかけている。細部を仔細に考慮することにかけては国王の右に出るものはいないとはよく言われることである。
同時に国王は全体的にものごとを把握することには長けていない。あれだけ心やさしい人であり、あれだけ進歩的な考えに共鳴する人なのであるから、
そこに性格的な強さと知性が加わり、愚にもつかない人々の意見に簡単に流されることがなければ、名君になりえたであろうに、
その意志の薄弱な性格は致命的である。 こいつら、日本を貶めようとすればするほどてめえらの不甲斐なさや無能さを
露呈するだけってことを、それでもいいから反日したいのか本気で気づいてない
だけのかどっちなんだろ? 当時の朝鮮人一般はシャーマン信仰で、無能を絵にかいたような両班に搾取されるだけの奴隷。
王妃に翻弄される高宗は
王妃に言いなりの無能のくせに絶対王政。
立憲君主制の日本のような近代国家とは無縁の無能の古代シャーマン蛮族国家、それが李氏朝鮮 そもそも本の日本の天皇が政治を行った事など無い。
ましては君主などでは無い。
日王とか言っているから訳分からなくなるのだよ。 こんな失礼な事を言う民族を移民としてたくさん受け入れる自民党は狂ってる >>692
シャーマンならシャーマンでいいんですけど、不思議なことに朝鮮には土着神もいないんですよね。
建国神話のダン君とクマーにしても、それを崇拝するという訳ではない。 まず、ドナルド・キーンの著書がある。
松本健一の著書がある。
倉山満の著書がある。
山岡荘八の小説がある。
望月小太郎の著書がある。
講談社学術文庫の「天皇の歴史 (7) 明治天皇」がある。 明治天皇ほど開明的で有能な君主はいなかったわけだが。
朝鮮人に何を言っても無駄か。 自分等の国の王は五頭身のチビデブ色んな国の軍服を適当に着た間抜けな写真が残ってたが >>658
コリアンは専制が好きなんだろ。
北朝鮮とかな。
韓国も大統領の権限がえらく強いようだし。
朱子学の影響かな。 日本を貶せば貶すほどそんな国に支配された韓国が矮小化する
馬鹿だねぇ(笑) >>405
韓国人支配されてんじゃんw中国もだし、南洋諸島もwww >>686
過去形にしなくても今でもそうでしょ
それが悪いとは思わないけどね。 >>693
一応、ながーい歴史の中で、少しだけやったことはある。
左道密教の真言立川流の信者だった帝が 平凡な君主とだけ書けば良いものを
小国と付けずにいられない 性根の卑しい 記者だ >>1
>日王明治
バカだろ、こいつらホント頭の中にクソしか詰まっておらんやろ
旭日旗の話題かなんかで中国のネチズン(笑)が
日本の朝鮮支配に触れて
『何でその時皆殺しにしなかったんだWw』という
主旨のコメントを書いていたな
宗主国サマもチョン公が大嫌いなようだWw
>明治は西欧医師をまったく信じず、死ぬまで漢方医学を信奉し、写真や映画なども嫌い
「日本の残すべき文化は残し、外国の取り入れるべき文化は取り入れる」という態度(WIKI)
取材どころか、まともな調査すらできね〜じゃん
バカチョンは黙ってクソでも舐めてろ、こっち見んな >>11
でも勝海舟がいくら慶喜への恩赦を嘆願しても「徳川慶喜だけは赦せん」と意地張り通したじゃない。錦の旗たてて自分で慶喜を騙しうちみたいな事しといて。
政治に口出せる余地はあったよ。 半島の歴史があまりにもみすぼらしいから日本にいちいち絡むんだろな >>1
明治維新から 50 年で、非白人国家で列強の一員に登り詰めた
空前絶後の立憲君主国の君主だからなあ。
イギリスのビクトリア朝時代のビクトリア女王より、遥かに存在感があるのに、
誰も伝記を書かないってイギリス人が不思議がってたぞ。 >>1
そんな極めて平凡な小国に土下座して、組み入れてもらった惨めな民族がいてねwww 極めて平凡な小国の君主に併合をお願いした超大国乙w >>1
別日昔から象徴だから天皇の政治能力を期待するやつは居ない。
なにを鬼の首を取ったようにホルホルしてるのか?ちょんってどこまでも馬鹿だな >>712
明治天皇一人の力で強国に上り詰めたのでは無いって事を一番わかってるのが日本人だからね。
あくまでも国民を守る束ねるための求心力。
それに赤裸々な私生活晒すよりある程度神秘性のあった方がいいだろ。 鮮人脳には理解できないだろうが
思考停止の鮮人とは違って清も日本と一緒に西洋化を進めていた
結果
日本は西洋化に成功し清は失敗した朝鮮はチャレンジすらしなかった
今でもそうだろ?www 移民に反対しない日本人は、シナチョンの移民侵略を応援しているようなもの。
反日外国人は権利を要求しても義務は果たさないぞ。その穴埋めは日本人の税金です。
その後は必ず国が崩壊して日本民族が滅ぶでしょう。 >>1
朝鮮人が発想する「暴君的権力者」でも「率先して善政を施す為政者」でもないので
理解できないんだろうな。
朝鮮人の限界だわ。 極めて平凡な小国の君主
当たり前だろ
その後国が発展し
大国の君主となった
口惜しかったら成ってみろ >>5
勝手に滅んで「小国」すがりついてきたんだろ >>721
世界的に見れば小国ということはないが、どんな点で小国だと思ったの? 朝鮮人は日本が戦国時代末期には世界一の鉄砲生産国だったことも知らんのだろう。 日本のことを小国と罵ったところで、韓国が弱小国である事実は変わらんのだが。 上は中国の小役人に床に頭を打ち付けまくって下はうんこしか食わなくて寿命が30前に切れる
そんな国の愚王にに比べれば平凡な王がどれだけ幸せなことか この糞チョンは明治維新の意味が分かっておらんの〜〜ばかやけん。 何故チョンは明治天皇を侮辱する?
日清、日露戦争を反対した人物だよ!
特に日清戦争時は強硬に反対、
戦勝祈願の神事を拒否したほど
恩を仇で返す民族だから仕方ないか… >>729
だが待ってほしい日清戦争が無ければ未だに中華の属国だったろうから朝鮮半島は >>683
日本でバナナがありふれたものになった時代でも、
まだ韓国ではバナナが高級品だったため、
高級ホテルのウェルカムフルーツがバナナで、
なんでバナナ?バカにしてんの?
とか言われてたような 一方朝鮮王は清の使いに対して頭を床にこすりつけてたろ 近代化と韓国になんの関係があるんだ?
いくらインテリな江戸町民たちでも朝鮮の事なんて眼中にないw
外国といえばスペイン、フランス、英国、米国を意識してたくらいだ >>735
幕末期の半洋式軍装みたいに感じるわ。
取り敢えず有るもん着せたんだろうけど仮にも皇帝の軍装じゃないわ。 まことに小さな国が開花期を迎えようとしていた、この意味が鮮人にはわかるまい。成功した国と滅んだ国の違いだよ。 韓国人と歴史の話になると必ず天皇の血筋を遡ると朝鮮の血も入ってるとか言ってくるけど本当なの? >>738
今の朝鮮人と古代半島人は別物といっても良いのでは? 日本を過小評価すればするほどそれすらなかった朝鮮半島がもっと小さくなるだけなのだが >>738
琵琶湖に一滴くらいのものをそうだと言えるならそうと言えないことはない こないだ旅行で会津若松に行ってきた
今だに新政府軍に怒ってた
大政奉還したのに要らん戦争吹っかけてきたロクでなしどもだってさw 知り合いが福島いるけど、幕末オタクで維新マンセーだけどな 未開の朝鮮棒子は天命を受けた天子様に逆らってはいけない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています