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石島が岩礁の総称ではなく、二つある属島の一つだと言える根拠は

1699年の「欝陵島図形」では竹嶼の位置に、大于島、観音島の位置に、小于島
1702年の「欝陵島図形」でも竹嶼の位置に、大于島、観音島の位置に、小于島
1882年の李奎遠の『欝陵島外図』の二つの属島は、竹島(竹嶼)と島項(観音島)
1883年の檜垣直枝の現地調査地図での属島は、竹島(竹嶼)と島項(観音島)
1900年6月の赤塚正助(禹用鼎・ラポルテとの共同調査)の挿図で属島は、
竹島(竹嶼)と島牧(観音島) 島牧は、「ソムモク」と読める

1900年10月の『勅令第41号』(禹用鼎の調査を受けて発布)で、竹島、石島
※韓国語で石島は、「ソクト」、「ソクモク」と読める

1909年刊の海図では、島項が、鼠項島の表記。(ソクモクと読める)
1910年大韓帝国刊行の『韓国水産誌』 竹嶼と鼠項島

1928年9月8日付の東亜日報の記事に、「石柱がこの島を支えており、その中には石佛
形状の岩がいくつもあることから、この島を観音島と呼ぶ」との記述がある。

上記のように、鬱陵島周辺には、大巌(岩礁)が多数有るが、規模の大きさから別格の
観音島と竹嶼が、鬱陵島の二つの属島と見なされてきた歴史がある。