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>それから11年が過ぎた1920年10月26日、この日に5万人の日本軍を相手に韓国は2500人しか過ぎない兵力で立ち向かい絶体絶命状態だった。
>そこで直接戦うのではなく地形を利用して戦うことを決断。その結果、日本軍を撃破することが出来た。歴史学者はこの戦いを「青山里大捷」と名付けている。

青山里戦闘
https://ja.wikipedia.org/wiki/青山里戦闘

結果
日本軍の戦術的勝利、戦略的には殲滅に失敗。独立軍の主力はロシア領及び満州奥地へ移動。

青山里戦闘は、間島出兵中の1920年10月21日から26日にかけ、満州の間島和竜県(現・中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州和竜市)の青山里付近で、
日本軍と朝鮮人の独立運動武装組織及び中国人の馬賊との間で行われた戦闘。

日本の史料では青山里戦闘で受けた日本軍の損害は、戦死11、負傷24のみで将校の死傷は見当たらない。
朝鮮人武装組織と中国人の馬賊は戦死 90, 死傷 60以上。

韓国では年を経るごとに日本軍の損害は誇張されていっている。
同時に、日本軍の兵力、独立軍の兵力も膨れ上がり、戦闘の主役が金佐鎮から李範奭に移っている。