軍艦島について

島の南西部には売春宿があって。
そのうち「本田屋」と「森本屋」が日本人労働者用の売春所。
「吉田屋」が朝鮮人労働者用の売春所。

※石垣の上の平屋が朝鮮人向け遊郭だった場所。
http://stat.ameba.jp/user_images/20150624/20/imoseyama/b4/15/j/t02200141_0800051313346852504.jpg

※遊郭の場所
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/6b/28a64e6b7efba3f63238ae66f89d5a63.png

事実は、”軍艦島は朝鮮人にとって天国”であったこと。

 仕事もない半島にいるより、仕事のある日本で金を稼ぎたい、と朝鮮人のほうから喜んで飛びついていった。
また日本側は「わざわざ遠くから働きに来てもらって、朝鮮人労働者用が寂しい思いをしないように」との配慮から、母国語で気軽に話せるように朝鮮人売春婦を準備した朝鮮人労働者用の売春所「吉田屋」まで準備していた。

当時、唯一の娯楽は「飲む・売つ・買う」
酒を飲み、博打をうち、おんなを買うこと。あとはせいぜい映画をみること。
この時代、売春は合法で、おんなを買うことも娯楽のひとつだった。
それが自由にできたのが軍艦島のエベンキ徴用工。

しかも仕事は坑内で掘り出した石炭を地上に運ぶ仕事。
産業革命時代は、イギリスではおんな・子供がやってた仕事。
崩落や粉塵爆発の危険性のある先端部は、経験豊富でベテランの日本人炭鉱技術者がする。