以下はすべて慰安婦として公演活動している「黄錦周」(ファン・クムジュ)さん1人による証言

「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。 1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に 連行され従軍慰安婦となった」

「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに 行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」

「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ 」

「満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」

『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが 、到着した場所は、慰安所でした。』

「14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つ らい体験だった。」

上から順に
(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一
(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
(3)"TBS"「ここが変だよ日本人」
(4)「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期  
(5)旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日
(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて