【慰安婦は一人で複数の人生を歩む】李容洙さんの場合

中央日報及び、全国証言集会京都実行委員会でのプロフィール

1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。
移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。
その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では
1日に何人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれた
りの暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る。
http://www.geocities.jp/kesenai_kioku_04/kyoto/profile.htm

16歳から三年間です。
1944年から1947年、終戦後も慰安婦していたことになりますね。

で、これは日本共産党の紹介文

韓国の李容洙さん(74)は、十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、 拒むと殴られ、
電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し、「私は歴史の生き証人として今、生きている。
この法案が審議され、成立することを望む」と語りました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html

14歳。
ええと、この場合1942年から慰安婦をしていたことに。

次は、『半月城通信』57でのプロフィール

1928年大邱に生まれた容洙さんは(満14歳のとき)家から呼び出され、他の4人の少女とともに日本人に
連れられて汽車で慶州から大連まで運ばれました。
・戦争が終わるまで、主に特攻隊兵士の相手をさせられ、46年に祖国に帰りついたときには18歳になっていました。

その他の多数のプロフィール
http://plaza.rakuten.co.jp/hasunotubomi/diary/200703030000/

一体慰安婦にはいくつの人生があるんだろうか。しかも、複数の団体を使って募金活動してるし...
この厚かましさ。まさに、金が目当ての現役売春婦だ。
この女、細田官房長官に謝罪させた挙句、「日本列島の資産を全て受け取っても日本を許さない」って
TVで叫んでたのが象徴的だった。

どんだけガメツイ神経してるのか・・・