■NHKスペシャル 「日本の群像、再起への20年」より
1986年、東芝半導体事業本部長の川西剛(後の代表取締役副社長)は、東芝の国際担当専務の仲介で
サムスン電子からの訪韓の誘いを受け、李秉負長や幹部総出のVIP歓迎を受けた。

同業他社の歓待を受けるということの意味を理解していたか否かは定かではないが、川西はサムスンの
建設途中の半導体工場を見せられた見返りに、最新鋭の東芝の大分工場を見せなければいけない結果となった。

サムスン側が東芝の当時最新鋭の工場であった大分工場を訪問。同年にサムスン電子も1MDRAMの開発に成功し、
その後、東芝の大分工場の生産ラインを統括する製造部長がサムスンにスカウトされ、大分工場と同じ設備を持つ
製造工場がサムスンに建設されることになった。

また、サムスンは1987年5月にアメリカと日本に研究所を設立、1988年には半導体事業の売上高が905百万ドルに達し
半導体メーカー売上高ランキングでは18位に躍り出た。