韓国は北を「北朝鮮」ではなく「北韓」と呼ぶ。向こうも南を「南韓」とは言わず「南朝鮮」という。「韓国」「朝鮮」という用語は、ひそかに対決的な用語となった。

 「朝鮮」と「韓国」の国号対決は、新聞社の題号にも影響を与えた。1950年に韓国政府は「朝鮮」という用語を禁じた。ついには「朝鮮日報」という題号も使えなくしようという議論まで起こったが、当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が「『朝鮮日報』は植民地時代から使われていた固有名詞なので、そのままにせよ」と配慮したため生き残った(イ・ソンミン著『大韓民国 国号の誕生』)。それだけではない。54年には、「朝鮮日報」の取締役を退いた張基栄(チャン・ギヨン)氏が「太陽新聞」を買収して「韓国日報」と題号を変えた。「朝鮮日報」に対する競争意識に加えて、それとなく「北朝鮮の朝鮮日報」「大韓民国の韓国日報」と差別化しようという「色分け論」的な発想があった。

 「歴史的に、古朝鮮は紀元前7世紀に満州と韓半島(朝鮮半島)にまたがる巨大な政治勢力として登場し、紀元前2世紀に南側で『韓』という政治勢力が登場した。南側とはおおむね礼成江・漢江以南を意味する」(ユン・ミョンチョル教授、東国大学、歴史学)。これは、今の南北の境界とおおむね軌を一にする。風水的に、「北朝鮮(北韓)」と「南韓(南朝鮮)」の特性をはっきりさせることができるだろうか?

 日本人の御用学者・黄文雄は、韓半島を「三南」(韓国)と「三北」(咸鏡道・平安道・黄海道)に区分している。「三南は水田農耕が可能なのに対し、三北は狩猟と農耕が半々」として、「生産手段」の点で南と北を全く別の国だと規定した。「生態や植生が全く違うので、そういう理由から人種や国民性も異なり、南北統一を夢見るのは無理」と悪い評価を下した。本当にそうなのだろうか。

慶煕大学地理学科の孔于錫(コン・ウソク)教授は「北朝鮮の河川は傾斜がきつい山岳地形に沿っていて、流れが速い」と語った。山の高低や流れの速い遅いは、そこで暮らす人々の言語や精神に影響を与える。慶尚道と全羅道の山や川を見るだけでもそれが分かる。慶尚道は山が多くて高く、川の流れが速い。慶尚道の方言が全羅道の方言より調子が強くて早口な理由がここにある。平野が多い全羅道が作ったパンソリ(物語を歌う韓国の伝統芸能)は、本来はゆっくりと歌うもの。ゆっくりしたパンソリだが、全羅道を南下して流れる蟾津江を境に、東側の山岳地帯のソリ(東便制)と西側の平地のソリ(西便制)の間に差がある。東便制より西便制の方が柔らかく、伸びがある。

 慶尚道・全羅道の山水の差が作り出した言語と文化を、政治勢力が一時、地域感情として悪用したこともあった。しかし急激な人口流動で地域感情は希釈された。「北韓」と「南朝鮮」は1945年の解放後、およそ70年間断絶してきた。一般「国民」と「人民」の交流はなかった。社会経済体制も違った。お互いについての理解もなかった。

 東西ドイツ統一を容易にしたのは、長年の文化交流だった。ドイツ統一前の西ドイツに留学していた筆者も、当時東ドイツの代表的な文芸誌『ワイマル・バイトレーク』を定期購読するほど、文化交流が盛んだった。今の韓国の一般人が、北朝鮮の文芸誌を自由に購読できるだろうか。非核化を糸口にして南北和解と交流を行うのは、明らかに良いことだ。だが、「韓民族」と「朝鮮民族」の「同じところ」ばかりを見て「違い」を見過ごしている。

キム・ドゥギュ又石大学教養学部教授

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朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2018/11/11 05:02

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