0001きゅう ★
2018/12/30(日) 07:41:52.92ID:CAP_USER壬辰祖国戦争時期(1592年―1598年、文禄・慶長の役)に日本が働いた蛮行をもってそれについて説明することができる。
一名、壬辰倭乱と呼ばれるこの戦争期間に、日本の侵略者は朝鮮の文化財を大量に破壊、略奪したし、数多くの朝鮮人を島国へ連れ去った。
戦争の期間、日本の侵略者が最も価値ある「戦利品」としたのが人であった。
日本侵略者の首かいである豊臣秀吉の命令によって、戦争の初期から朝鮮人に対する一大「狩り戦」「拉致戦」が繰り広げられて、建築、陶磁工芸、活字鋳造・印刷、紡織など、学問と技術分野において10余万に及ぶ人材と平民が日本に連れて行かれた。
日本の性理学と仏教、医学、文学、陶磁工芸、紡績業はまさに、拉致された朝鮮人によって大きく発展した。
特に、現在日本で国宝とされる陶磁器である有田焼、薩摩焼などは、壬辰倭乱の時に朝鮮で拉致した陶工らの血の涙と苦役の汗によってつくられたものである。
日本の伊万里市には、朝鮮から連れてきた陶工800人の墓が現在も存在しており、日本の有名な陶磁器技術者の系図を調べればみんなが朝鮮陶磁器技術者の子孫である。
壬辰祖国戦争は1598年11月、朝鮮人民の勝利に終わったが、数多くの人々が日本に連れて行かれたことによって、人材と労働力の不足で戦後、朝鮮の科学と技術の発展は甚しく阻害された。
実に、日本が壬辰祖国戦争の時に朝鮮民族に働いた蛮行は、人類史にその類のない特大型の国家犯罪である。−−−
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