諸君 
・日本という国はいざとなったら目覚しい交戦力を発揮する、迂闊にこの民族に手出しをすれば必ず痛い目にあう、周辺国が等しく抱いたこの警戒感が、
戦後の長い間、この国を平和に保つ、ひとつの大きな要因となってきた。あの戦時に日本国民の示した気概が、まさに見えざる大きな「抑止力」の機能を果してきたのである。
・中国やソ連という当時の仮想敵国も、日本へのあからさまな手出しは躊躇した。それらはすべて、「寝た子を起こすな」という、かってのあの「雄雄しい日本」に向けた恐れに似た感情に由来するものだったのである。
だが、それを知るスターリン、ブレジネフ、周恩来、毛沢東、金日成らの時代は遠く去り、もはやその「恐れ」をまったく持たない世代の政治指導者が周辺国に現れている。
日本の干戈(カンカ)を交えた経験のない、金正日、胡錦トウ、プーチンらに、日本に対する警戒心、畏怖心が稀薄なのは当然だろう。二十一世紀の日本が直面する危機は、こうした世の転変に根を持つのである。
・かってオーストラリアを訪れた中国首相、李鵬は「日本などという国は2015年頃には溶けてなくなっているはずだ。一々考慮すべき相手ではない」と発言して、
心ある日本人の強い怒りを買った。確かに非礼極まりない放言ではあるが、どこか我々の直面する危機の本質を衝いた”慧眼”を感じられないではない。
李鵬の「予言」が現実のものとなるか、否か。そのぎりぎりの場面に我々はいるのである。
・東亜の近現代史を語る上で、まず着眼しなければならないのは、匪賊の跋扈とそれ以上に過酷な軍隊と官僚による苛斂誅求があった、という社会史である。
それを知らなければアジア的停滞社会の経済史もわからない。
 そのような歴史的社会状況を打破したのは、まさに日本人の手によるインフラ建設であった。日本人は台湾で匪賊を討伐、平定し、朝鮮では両班の苛斂誅求を停止させた。
満州では軍閥、馬賊を追放し、それによってこれらの地域では安定社会が現出し、殖産興業が行われた。
・満州事変後に満州国が樹立されると、治安の安定した桃源郷、王道楽土を求めて、毎年百万人以上の流民が万里の長城を越えて満州国へとなだれこんでいる。