「ヨーロッパ人は、かつて全アジアを支配した積もりでいるが、実は日本とシャム(タイ)と中国だけは、
完全に植民地化することが出来なかったとう事をわすれてはならない」=サー・マイケル・ハワード (ロンドン国際戦略研究所理事、オックスフォード理事、歴史家)
1993年ソウルにて。何故かソウルでの講演なのにコリアが含まれておりません。
これはタイ王国のことです。アユタヤ王国や其のあとのチャクリ王朝は、周りを強国に囲まれていたので、外交が発達しました。
第二次大戦では日本と同盟を結び枢軸側で戦いましたが、裏では英国に通じておりました。見事な二重外交で、戦後は国連の「敵国条項」適用を逃れました。

これは中国というよりは支那のことです。説明は不要でしょう。自分達でも統治するのに四苦八苦しております。■TOO TOUGH
tough= [形] 1困苦に耐えられる, がんじょうな, たくましい, タフな, 〈人が〉不屈[強情]な, 強硬な、a tough customer 手ごわい相手
今の日本外交を見ていると信じられない評価ですが、これは我国のことです。マイケル・ハワードさんは薩英戦争(文久三年1863年)時の薩摩藩士の戦いぶりを紹介します。
「この国の国民は女子供から僧侶に至るまで、軍事に関しては天才的である。東洋艦隊が鹿児島湾に入ってどんどん砲撃をするのだが、対する薩摩藩士たちは大変な勇気を示して、
こちらがちょっと休息していると、小船を駆って襲来してくる。其の為寝る暇も無い」(イギリス東洋艦隊士官日記)
この時、東郷提督も既に元服しており両刀を挿し、火縄銃を携えて初陣を踏みます。女達も薩摩汁(豚汁)を作り、砲弾をくぐりながら兵糧運びをやりました。
日本の端の方を攻めるだけでも、これだけ手こずったのでした。それが全部となると大変であるとの感想を持った様です。これは以後の大戦でも同様でした。
■イギリスの日本研究
「日本人はなぜこうも他のアジア人と違うのか」=これらの戦いを通じて、我国に興味をもったイギリス人は、「武士道」等の他に、島国であり「海洋国家性」に注目しました。
世界中の民族を見てきた彼らによると、「海の民」は“上手に妥協して双方に実のある商業的取引を好み、嘘が少なく信用できる”というものでした。