新年初の閣僚会議終了後、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が外交・法務長官、法制処長など何人かの閣僚を別々に呼んだ。この席でムン大統領は日帝強制徴用賠償判決とこれにともなう韓日葛藤に対する自身の立場を説明した。要旨は「徴用被害者に対する賠償は日本企業の問題であって、わが政府が先に立ってはならない」「日本が不当な内政干渉をしている」等だったという。「日本についてさらに強く出なさい」という指針と解釈された。

一部参席者が「日本企業だけの問題ではなく、これまで、わが政府も徴用被害者問題は解決済みと判断してきた点を考慮する必要がある」という意見を提示したがムン大統領は不動の姿勢だったという。

数日後、外交部高位幹部が大統領府に上がった。韓日関係管理のために強硬一辺倒の対応を再考する必要がある、と建議するためだった。しかし、大統領府参謀らは「私たちと(大統領に)そんな話はしてみなかったか」とこの幹部を送りかえした。

強制徴用問題には歴史・法・外交・国民感情が複雑に絡まっている。このため政府内でも意見が様々だ。その中で最も強硬派がムン大統領という。ムン大統領が新年記者会見で「日本がさらに謙虚な立場を持たなければならない」としたことは、それさえも抑制された発言に属する。

ムン大統領のこの様な「信念」はどこから始まったのだろうか。ある与党要人は「大統領の個人的経験が大きな影響を及ぼしたのだろう」といった。強制徴用被害者が2000年、釜山(プサン)地方裁判所に日本企業を相手に損害賠償訴訟を初めて出した時、ムン大統領は「法務法人釜山」の代表弁護士として代理を務めた。キム・ウェスク法制処長も当時の弁護チームメンバーであった。ムン大統領は「歴史的意味があることだから助けるべきだ」として積極的に乗り出したという。

その後、18年間の紆余曲折の末、大法院判決で被害者らが救済を受ける道が開かれたので彼の感慨は格別だろう。「弁護士ムン・ジェイン」が「司法判断により妥協なしに日本から受け取るものを受け取ろう」と言うのは一方では当然のことだ。

しかし「大統領ムン・ジェイン」は弁護士の時とは比較できないほど多様で複雑な変数を考慮しなければならない。ところが周囲の意見を十分に聞いて悩んだという話は聞こえない。「徴用被害者問題は1965年、韓日請求権協定で解決された」という立場を定めたことは2005年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時であった。当時、この決定を下した委員会にムン大統領も民政首席として参加していた。行政府がこれをひっくり返すのは司法府判決とはまた別次元の負担だ。これに対するムン大統領の立場は何か。

ムン大統領が甘受しようとする韓日関係悪化の「マジノ線」がどこなのかも不明だ。安倍政権が圧迫に屈して私たちが願う謝罪・賠償をするだろうと予想する人は政府内に誰もいない。両国の正面衝突は事実上予定されている。その場合、北核脅威に対応した安保協力に穴は生まれないのか、経済的打撃にはどのように対応するのか、国際世論をどのように我が方に回すのか、責任ある当局者の説明を聞いたことがない。

「過去の歴史は過去の歴史、未来のための協力は別」というむなしいスローガンがあるだけだ。当初の原因提供は日本がしたが、それでも反省しない日本の態度に私たちみなが怒る。しかし、大統領まで怒るだけで、現実的突破口を探すための水面下の外交をしないなら問題はさらに絡まる。両国首脳が通話でもしそうだが、そのような計画もないという。

だから多くの外交元老・専門家たちが「日本に容赦ないのは良いがその後の戦略は何か。戦略があるのか」とムン大統領に訊ねているのだ。

イム・ミンヒョク論説委員
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ソース:朝鮮日報(韓国語) [太平路]大統領まで日本に怒りだけするべきだろうか
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2019/01/21/2019012103456.html