批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 正月に旅順を訪問した。中国・遼東半島先端の軍港都市で、戦前は関東州として日本の植民地だったところだ。

 旅順は日本では日露戦争の激戦地として知られる。けれども韓国では別の理由で知られている。旅順には、安重根が処刑された刑務所があるのだ。

 安重根は日本では、1909年に伊藤博文を襲撃した暗殺者として知られる人物である。しかし韓国では独立運動に身を捧げた義士であり、国民的敬愛を受けている。刑務所はいまは博物館として公開されており、安が最期を過ごした独房や刑が執行された絞首台を見学することができる。肖像写真を掲げた特別室には、韓国人観光客が残したものなのだろうか、多くの花が手向けられていた。それはあたかも聖人を祀る教会のように見えた。

 その光景を見て、日韓の歴史論争はいまや宗教戦争に似つつあるとの感覚を抱いた。歴史認識問題の解決のためには、事実の検証と冷静な話し合いが必要だと言われる。けれどもそれだけでは届かない感情がある。日本には安を犯罪者として扱った100年の歴史があり、韓国には安を義士として称えた100年の歴史がある。その溝はいくら事実を積み上げても早々には埋まらない。いまの韓国人に安がテロリストであることを認めろと迫るのは、聖人を捨てろと要求することに近い。

 現在、日韓関係はふたたび悪化している。元徴用工訴訟問題とレーダー照射事件が相次いで起き、日本の世論はかつてなく硬化している。ネットでは「断交」のような過激な言葉が躍っている。

 ぼくは日本に住む日本国民であり、苛立ちは理解できる。けれども心配なのは、そこで、韓国はそもそも論理が通用しない国であり、つきあっても無意味だといった侮蔑入りの諦めが台頭していることである。

 それこそが敗北である。韓国には韓国の歴史があり韓国の神がいる。日本に日本の神がいるように。異なった神=歴史を信じている以上、不毛な対話もあるだろう。けれども人類はその不毛さを乗り越え、多文化共生の国際社会を作りあげてきたのだ。東アジアでもその可能性を諦めてはならない。

ソース AERA 2019年2月18日号
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190213-00000021-sasahi-kr
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