現代財閥創業者・鄭周永(チョン・ジュヨン)氏の回想

チョン・ジュヨン会長の生前のニックネームが'芸者'だ。
チョン氏は、懇意にしていた日本のK造船の会長に接待攻勢をかけた。
申し訳なく思ったK造船の会長が、チョン氏に「何か助力できることはないか?」と尋ねた。
チョン氏は、「一年間、2人の研修生をK造船に受け入れてほしい」と頼み、受け入れてもらった。
当時、日本では月1回の地震避難訓練があり、サイレンとともに造船所の社員は全員待避所に避難した。
その時、2人の現代造船社員は、トイレに隠れていて、K造船社員がいなくなるのを見計らって出てきて
設計図面を片っ端からコピーした。退勤時は、造船用の特殊なスパナを懐に入れて盗み出した。
このようにして、この1年間に2人が持ち出して韓国に送った資料は、コンテナ2台分になった。
こうして、現代重工業は、世界一の造船会社になった。