韓国の政治リーダーシップの欠陥は、民心に服従しなければならないと思い込んでいること

民心は感情的で時に不公正、法・国益よりも前面に出てはならない

 韓国与党・共に民主党が先月、いわゆる「ドルイドキング」事件と関連して金慶洙(キム・ギョンス)慶尚南道知事に対する裁判所の判決を攻撃する記者会見を開いたのは、韓国における民主主義の素の部分をさらした瞬間だった。もちろん大統領を含めすべての政治家にはそれぞれ今回の判決について「失望」したことを表明する権利がある。しかし、法治主義社会で政党が、それも与党が司法を批判したのは、司法府の出来が悪いから悪口を言われて当然だと考えているか、あるいは与党が法治を尊重していないか、もしくはその両方だということになる。

 ドルイドキング事件という特定の事案について、裁判所は確かな証拠に基づいて正当な判断を下すこともあるし、そうでないこともある。どちらになるかは正直言ってよく分からない。事実、韓国の裁判所は往々にして証拠もないのに有罪判決を下したり、有罪判決が出たわけでもないのに身柄を拘束したり、裁判上必須でもないのに被告人を拘束したりする。ひどく非合理的な判決が出る時もある。だから国民は裁判所の判決を疑う。だが、そうだとしても、共に民主党が示した反応は、まるでバス運転手の労働組合が警察に「赤信号を無視したからと言って、なぜうちの組合員を逮捕するのか」と抗議するようなものだ。与党だけではない。野党・自由韓国党のユン・ギチャン報道官が「共に民主党の『金慶洙知事救済』は憲法秩序への挑戦」だと言ったのは、サッカーファンが相手チーム選手の反則判定時に「審判の判定を尊重しろ」と叫ぶのに、5分後には正反対のことを言うのと同じだ。

このように、法の立場が弱いのが韓国の政治システムの核心的弱点だ。独裁政治は独裁者の意向に合わせて法を無視して行われる。しかし、民主主義は公平で合理的な法に従わなければならず、すべての政府機関がこれを尊重しなければならない。そうでなければリーダーたちが法律ではない何かを追い求めていることになる。それは一体何だろうか? 答えは「民心」だ。権威主義政権が権力の座から追いやられて以来、民心はこの国で神秘的な指導者の役割をしてきた。多くの人が民心を国民の魂の表現、民主的で深遠で善良なものだと思っている。

 しかし、民心はそれほど高邁(こうまい)ではない。民心とは特定の問題に対する大衆の感情が決定的な規模に達し、市民全体がそう感じていると考えられる状態のことだ。民心は感情なので論理的ではない。実際には多くの人々が抱いている感情でもない場合がある。民心は感情なので不公正で一時的であることもあるし、集団いじめになることもなる。特定の見方が民心になれば、反対の見方はろくに注目もされない。だから民心は時に品がなく、暴力をもあおる。ローマ人はイエス・キリストを解放したいと思っていたが、群衆が望んだため十字架にかけた。

続く。

マイケル・ブリーン・インサイト・コミュニケーションズ代表、元ガーディアン紙ソウル特派員

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/03/15/2019031580122.html
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2019/03/17 05:07

https://i.imgur.com/XzvgOoS.jpg
▲マイケル・ブリーン・インサイト・コミュニケーションズ代表、元ガーディアン紙ソウル特派員