0001蚯蚓φ ★
2019/04/24(水) 16:04:23.05ID:CAP_USER(中略:海外の報道の紹介)
日本人は昔から自分たちの国を「和」と呼んだ。神武天皇が大和地方、すなわち今の奈良に建国して以後、彼らにとって日本は「大和の国」であった。従って「大和魂(やまとだましい)」は日本の根本を成す建国と日本人本来の精神を現わす言葉になった。「大和魂」の日本民族精神は「和」として団結された集団精神、個性より協同、部分より全体を重視する団結心を意味する。
また、敵(悪)を力で屈服させ、危機の前に発揮される勇猛性と突撃精神および犠牲精神であり、任務遂行のために死を超越して敗北を排斥し、社会秩序を維持して国家の独立自尊のために団結し自衛領域を構築する精神だ。
ノーベル文学賞候補に二度上がり、今の安倍総理と同じように平和憲法改正のための日本自衛隊の総決起を主張して割腹自殺した極右軍国主義者、三島由紀夫は彼の<愛国心>と随筆で「米合衆国と異なり、日本人に日本は内在的でかつ即自的なので…日本にキリスト教の愛(全人類的な愛)は合わず、日本語の「恋」や「大和魂」だけで充分だ」とした。日本人は全人類的な普遍的愛よりも「大和魂」の価値(精神)が何より重要と強調した。
何より「大和魂」は天皇制の国粋主義思想、戦時動員される軍国主義理念で広く宣伝された。これに伴い、朝鮮併呑はもちろん、アジア侵略戦争当時、国のために喜んで献身せよとの日本軍人精神をあおる言葉として使われた。
(中略:親日民族反逆者・毛允淑の大和魂を歌った詩)
ところで「ワ(和)」は自分自身を意味する「ア(我)」と同じ発音だ。個人としての「私」を国と同一視する意味が「和」には込められている。前にも言ったように私はすなわち集団であり日本だ。従って「和」が最上の精神である日本では集団の行動と思考が即、私の行動と思考になる。集団を抜け出した私は存在できない。
日本にとって周辺国は「和」ではないので、「和」の世界へ編入すべき対象になる。「和」という日王(天皇)を中心にした総和合、調和、統一だ。それがつまり美しい秩序だ。従って強制武力を使っても周辺国を「和の秩序」、すなわち日本の秩序に屈従させなければならないということになる。だから「令和」という言葉はすなわち、日本中心の秩序に編入させるという「日本の命令」という意味だ。日本の命令に従わない人(国家)は日本に編入させて調和を試みるという言葉だ。それでどうして美しく心をやりとりする平和を前面に出す年号といえるのか。
安倍総理が如何にも狡猾な舌で本音を隠し、美化しようとしても、「令和」は不可逆的に侵略本性の軍国主義の歯を表わした年号だ。本当に嘆かわしい。「天地と内外の平和を成し遂げる」という意味だったという「平成」期にも日本は平和を図ったことがない。まして「令和」の将来はどのようだろうか。日本は真のざんげと反省は後まわしで、日が進むにつれ軍国主義の亡霊に捕われて戦争の道に突入している。
チョ・ヨンジュン作家
ソース:ニュースピム(韓国語)日本新しい年号「レイと」というどうして軍国主義亡霊の復活なのか
http://www.newspim.com/news/view/20190415000641