ところで、同日の産経の社説「朝日はヘイトを許すのか」については、
まったくいただけなかった
社説では不自由展の問題作3作品を取り上げ、天皇や日本人へのヘイト
だから許されないとして、これを擁護する朝日社説やヘイトスピーチ
解消法に批判を加えている。
その主張は「左右どちらの陣営であれ、誰が対象であれ、ヘイト行為は
『表現の自由』に含まれず、許されない」に尽きる。この観点から、
日本人へのヘイトを対象外としている「法律上のヘイト」も法律外の
「ヘイト」も、ともに許されないとしている。
外国人批判は許さないのに、日本人批判は許すという法律や朝日新聞の
二枚舌を封じるためのロジックなのだろうが、ヘイトのような曖昧な
基準で表現の自由を制約などしては、言論人の自身に返ってきて自縄
自縛に陥るのではないか。
現にこの社説の朝日批判が「朝日へのヘイトだから許されない」と主張
されたら、産経はどう答えるのか。「韓国なんかもういらない」という
表題ごときがヘイトとされるのが、ヘイト論議の呆れた現状なのだ。

ヘイトかどうかは、表現の自由の基準とはなりえない。作品は表現の自由の
範囲内と認めたうえで、その作品の政治性が示す事実との乖離や手法の陳腐さを
批判すればいいし、公金の使途として妥当でないと指摘すればいい。さもなければ
朝日と同列の論理水準に堕するだけである。