535年の大噴火

世の中全体が大きく振動し、鳴り渡る轟音と共に豪雨が降って来た。暴風雨が何度も起こった。
しかしその豪雨も噴炎を消すことが出来ないどころか、事態は一層惨憺たる様相を呈した。
その音は恐ろしかった。結局山はぞっとするような唸りと共に2つに割れ、地中深く沈んだ。
パトゥワラ山及びにカムラ山の東方、そしてラジャバサ山の西方にあった陸地は海面下に沈んだ。
スンダ地方からラジャバサ山までの地域に住んでいた人は溺死し、その遺体は財産もろとも押し流された。
水が引いた後、その山と周囲の陸地は海になり、今まで1つだった島が2つになった。
スマトラ島とジャワ島が出来たのはこういう次第だったのだ。

 エフェソスのヨーアンネスが書いた歴史書『教会史』にこうある。「太陽から合図があったが、
あのような合図は、いままでに見たこともないし、報告されたこともない。太陽が暗くなり、
その暗さが1年半も続いたのだ。太陽は毎日4時間くらいしか照らなかった…」。

東ローマの歴史家プロコピオスは「日光は一年中、輝きを失って月のようだった」と。
カッシオドース「春は穏やかではなく、夏も暑くなかった。作物が生育すべき何ヶ月間かは、
北風で冷え冷えとしていた。雨は降らず、農民は、また寒気に襲われるのではと恐れている」。
中国の『北史』に「旱魃のため勅令が下された。死体は埋葬すべしという内容だった。…当局は、
市門で水を配ることとした」。『南史』では南京に黄砂が押し寄せ「黄色い塵が手一杯
すくいあげられた」。『日本書紀』では「食は天下の本である。黄金が満貫あっても飢えを
癒すことができない。真珠が一千箱あっても、どうして凍えるのを救えようか」。