>>484
ここの>>136に書いてあるけど、最初は1600年代に紀州出身の崎山次郎右衛門という人が銚子の外川に漁港を作ったのが始まりらしい。
漁労法の工夫によって水揚げ高も増え、手間も簡略化されたんだろう。これによって漁業全体が潤って紀伊から漁民が移住してきたというのもあるだろうし、
また人権板の書き込みによると、当時新たな漁場を探していた紀州の漁民が黒潮に乗って移動し、親潮との合流点である房総半島にたどり着いて定住したという説もある。
醤油に関しては紀州と下総が気候的に共通項が多く、醤油作りに適していたためらしい。ちなみにキッコーマンは野田の醤油蔵数件が合併して作った共同体が成り立ちで、ご近所には甲子(キノエネ)醤油もある。
なお、何故漁民のみが差別を受けたのか、またその原因が何なのかは不明。差別を受けていた事実については御宿町史などの郷土史で軽く触れられている。
千葉県の部落は山武付近に点在しているみたいだが、そこから離れた夷隅や土気の部落との通婚の記録がある。内房の市原には血族結婚の多い地区があるという記録あり。
千葉県は山というイメージがあまり無いけど、標高は低いけど山岳地帯に近い山村での生活と似たような暮らしをしていた農家が多いようで、農作業の傍ら皮革製品を副業的に作るところは今でもあるみたいで、
>>477のリンク先(ストリートビュー)のガードレールに干してあるものは作成中か又は完成したイノシシかタヌキの革だと思う。
本佐倉の皮革製品作りは1400年代くらいから始まっているという書き込みもあったので、そうだとするとこっちも今川氏のところの皮革職人とは系統が別である可能性が高い。