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▲民間人地域でペスト菌を実験する731部隊、この部隊は細菌武器を開発しようと残酷な生体実験もはばからなかった。聯合ニュース

第2次世界大戦当時、日本が中国のハルビンに駐留させた細菌戦部隊(731部隊)名簿と彼らが敗戦後、退路などが明記された公文書の内容が初めて公開された。

22日、京都新聞など現地マスコミの報道によれば公文書は滋賀医科大、西山勝夫(78)教授チームが日本国立公文書館で発見したと伝えられた。

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▲記者会見場で公文書分析内容を説明する西山教授.京都新聞

1950〜1951年に作成された「関東軍防疫給水部部隊概況」というタイトルの公文書には「防疫給水部本部」と5つの支部の組織構成、ここで服務した隊員の名前、住所、階級などが記録されていた。

日本は初め、同部隊を防疫給水部(伝染病の発生を予め防ぐ部隊)と偽装して1941年、満州731部隊に名称を変えた。設立当時の司令官は1930年代初め、ヨーロッパ視察を通じて細菌戦の効用を悟り、これに対し備えた戦略を積極的に主張した人である細菌学博士、石井四郎中将だ。

部隊の配下にはウイルスや昆虫、凍傷、ペスト、コレラなど生物兵器を研究する17の研究班があり、それぞれの研究班ごとにマルタ(丸太)と呼ばれる人間を生体実験用に使った。これに対し10年間、何と3000人余りが実験に動員されて犠牲になった。
(記者注:「日本は始め・・・」から「・・・犠牲になった。」までの文章は京都新聞に記載なし)

公文書では終戦当時、防疫給水部の総員は3262人であり、そのうち2149人が731部隊所属と確認され、「終戦まで主に細菌研究および生産に重点を置いた」という文面が記載されていた。
(記者注:京都新聞では「終戦時迄(まで)主として細菌の研究及(および)生産に住じていた」(原文ママ)。)

公文書を分析した西山教授は「他の支部がもっとあったと見られる」として「文書確認まで長い時間が必要で残っている生存者(731部隊員)に聞く当時に起きたことやそれを土台にした検証が難しくなる。速やかに公開することが必要だ」と強調した。

イ・ドンジュン記者

ソース:世界日報(韓国語)日戦犯731部隊員の名前など名簿確認…何と2149人・バクテリア生産も
http://www.segye.com/newsView/20200623518807

関連記事:京都新聞<731部隊、詳細な隊員情報や組織機構が判明 70年前の公文書を新発見>
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/285364