2020.06.24 19:09
https://www.insight.co.kr/news/290535

ミャンマー西部に『ラムリー』と呼ばれる小さな島がある。

第2次世界大戦当時、ここに駐屯していた軍隊は日本軍だった。戦争を繰り広げていた日本軍は連合軍と立ち向かうため、ここに空軍基地を作ってインドに進むための足場にした。

1945年1月、日本軍と対峙していたイギリス軍がここを攻撃し始めた。

数多くの軍艦が押し寄せて日本軍が駐屯していたラムリー島に砲撃を加えて、全ての船が燃えた日本軍は陸地を通じて撤退をし始めた。

日本軍はイギリス軍の攻撃を受けて逃亡したが、ワニの群れと出会ってしまった。

その年の1月14日に始まった戦闘は30日になって戦況がイギリス軍に傾き始めた。艦砲射撃にイギリスのコマンド旅団が島に着陸して、日本軍は逃亡を始めた。

既に船が全て燃えて沈没しており、日本軍はやむを得ずにラムリー島とミャンマー本土を繋ぐ16kmのマングローブの沼を通らなければならなかった。

ワニの話はこの時から始まる。もがきながら沼を通過する日本軍は熱病や虫などによって苦痛を経て、イギリス軍はこのような日本軍を取り囲んで息の根を締め付けて行った。

結局1000人のうちマングローブの沼を渡れた日本軍は500人余りに過ぎなかった。

イギリス海軍出身の科学者ブルース・ライト(Bruce Wright)は自身の著書『Wildlife Sketches Near and Far』を通じて当時の戦闘を描いたが、ここで彼はマングローブの沼に棲んでいた海ワニが日本軍を食べたと主張した。

「その日(1945年2月19日)の夜は海兵隊のボートに乗っていたどの隊員も経験したことが無いほどに凄惨だった」

ブルースによれば、暗闇に閉ざされたマングローブの沼で日本軍の小銃から広がる明かりが消えた後、ワニの顎で粉砕される日本軍の叫び声が続いた。

彼はこれを「地上では聞くことができない地獄の声を作り出した」と表現した。

殺戮が終わった後に訪れた夜明けにはハゲワシが飛んできてワニが食べ残したものを処理した。ブルースは「ラムリーの沼に入った約1000人の日本陸軍のうち、ようやく20人だけが生きて発見された」と説明した。

彼の主張によってラムリー島の戦闘はギネスブックにも載せられた。

1999年のギネスブックはラムリーで行われた戦闘を『動物による最も大きな災い』という記録で掲載した。

しかし、現在はブルースの主張と反対する多くの意見が出ており、ワニによって殺された日本軍の数などに対しては今もなお議論中だ。