●社説の「公文書」と「判例」

【6】センターは、戦時中の端島において朝鮮半島出身者への差別は「聞いたことがない」とした、在日韓国人2世の元島民の証言も紹介。これに韓国は反発し、6月15日には同国外務省が冨田浩司駐韓大使を呼んで抗議した。

【7】加藤康子センター長は朝日新聞の取材に対し、「政治的な意図はない。約70人の元島民へのインタビューで、虐待があったという証言はなかった」と答えた。

 こうした経緯を踏まえて、先にご紹介した朝日新聞の社説をご覧いただこう。冒頭は、こんな具合だ。

《国としての対外的な約束は誠実に守る。日本が求めてきた、この原則を自ら曲げるようでは信頼は築けまい》

 朝日新聞は、センターがアーカイブした端島炭鉱=軍艦島の元島民による証言を《当時を知る人びとの証言が、貴重な価値をもつのは論をまたない》と評価しながらも、《個々の体験の証言を取り上げるだけでは歴史の全体像は把握できない》と指摘した。

 自分で《貴重な証言》と言っておきながら、それだけでは《歴史の全体像は把握できない》というのだ。

 社説では、元島民が行った証言の価値を否定するため、次のように指摘した。

《朝鮮半島出身者の労務動員に暴力を伴うケースがあったことや、過酷な労働を強いたことは当時の政府の公文書などで判明しており、日本の裁判でも被害事実は認められている》

●三菱マテリアルは否定

 ところが、この部分は、歴史的事実として確認されていないという。事実だとすれば、《歴史の全体像を把握》できないどころか、単に歴史の捏造だと言っていい。

 産業遺産情報センターのセンター長を務める加藤康子氏が、朝日新聞の社説に対して疑問を指摘する。

「社説を見た元端島島民より、『えっ! 政府が端島への労務動員時の暴力や島での強制労働を認めた公式文書や裁判記録があるの?』とお問い合わせがありました。というのも、社説は戦時中朝鮮半島出身者への虐待がなかったという元島民の証言の信頼性を、根本から否定する文脈で書かれているからです。センター開設にあたり、私たちは夥しい量の一次史料に目を通してきました。しかし、朝鮮半島から端島への労務動員で、《暴力を伴うケース》や、端島での業務で《苛酷な労働を強いた》ことを報告する公文書も、国内裁判事例も、見たことがありませんでした。そこで7月9日付で朝日新聞の社説がこのように書いた根拠を示してもらうために、質問状を送ることにしました。《公文書》と《裁判》という記述の根拠について、ご教示を依頼するものです」

 加藤センター長の指摘を続ける。

「元島民たちも弁護士を通して、当時、端島炭鉱の経営にあたっていた現在の三菱マテリアルに『端島炭鉱(軍艦島)等に関する事実確認の申入書』を7月10日付で送付しました。申入書で、『朝鮮半島出身者に対する暴力や虐待、差別的な扱い、苛酷な強制労働を強いたといった被害を訴える裁判の被告となったこと、被害が認定された裁判が存在する事実はありますか?』と調査を依頼したのです」(同・加藤センター長)

●朝日新聞の偏向!?

 三菱マテリアルからは7月13日付の「事実関係の回答書」が送付された。文書で《弊社が国内裁判で被告となっている事例はございません》と答えたのだ。

 加藤センター長は、朝日新聞の端島炭鉱=軍艦島に対する報道姿勢に“偏向”があるのではないかと気になっている。

 なぜ、そのような疑問が浮かんだのかといえば、朝日新聞の電子版に5月30日、「『4密』の炭鉱の島、遺体は酒樽で…コレラ大流行の教訓」という記事が掲載されたからだ。

 内容自体は問題がない。長崎県の近代史に詳しい建築家のインタビュー記事で、県内の炭鉱における感染症対策の歴史を紹介し、新型コロナ禍に悩む我々の“処方箋”を探ろうという内容だ。

 記事が紹介するのは、1885(明治18)年、長崎県の高島炭鉱でコレラが猖獗(しょうけつ)を極め、ひと夏で80人を超える作業員が死亡してしまったという事実だ。

 出炭量の減少に直面し、三菱は感染症対策と“働き方改革”に乗り出す。職場と住居の衛生環境を改善し、直接雇用に切り替えることで労働者の待遇を改善した。

 こうして得られた貴重な教訓を踏まえて三菱は、端島炭鉱=軍艦島では最初から労働環境に配慮して開発が行われた。