近頃なぜか、書店に足を運ぶ回数が減っている。

以前は書店があれば必ずのぞいてみる癖があった。待ち合わせ前の時間つぶしにも利用した。面白そうな本を見つけてつい買ってしまい、本を抱えて人と会うこともしばしばだった。

その習慣が変わった。最近ではすぐ近くの書店にさえめったに行かない。本は通販で買っている。

そんな折、ライター永江朗(あきら)さんの著書「私は本屋が好きでした」(太郎次郎社エディタス)を手にした。「好きでした」と過去形なのは、今は違うということだ。本を読んで永江さんの問題意識を知り、自分が書店に行かなくなった理由にも気が付いた。

その理由とは−書店に「ヘイト本」が並んでいるのを見るのが嫌なのだ。

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ヘイト本の定義は難しいが、ここでは「他の国(特に中国や韓国)について、政権や政策の批判ではなく、民族性そのものをおとしめ憎悪をあおる本。またはそうした印象を与えるタイトルの本」としておく。

永江さんに会って話を聞いた。永江さんは物静かな語り口の人である。

−永江さんは元書店員で書店への愛も人一倍深いはず。それが「好きでした」の過去形とは驚きです。

「少し前に、自宅近くの本屋が閉店しました。その時、実はちょっとほっとした気持ちになったんです」

「自宅の隣に住んでいるのが中国出身の方。そこの子どもさんがその本屋にコミックを買いに行ったとします。そのとき、本屋に中国人をおとしめる本が置いてあるのを見たらどんな気持ちになるか。ずっと気になっていたからです」

「多くの本屋が、自分の店のお客さんに在日コリアンや在日中国人がいるかもしれない、と想像力を働かせていないのではないか。『買う人がいるから並べる』でいいのでしょうか」

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−永江さんは、日本独特な本の流通システムの問題点も指摘していますね。

「実は本屋が自分の店で売る本を選んでいない。仕入れる本を取次(取次会社)が決めて送ってくる『見計らい配本』を採用している店が多い。その中にヘイト本があれば無自覚に並べているのが現状です」

−全ての書店を「好きでした」の過去形にしないために、何ができますか。

「読者は、自分が好きではない本屋に行かないこと。本屋は『自分が選ばない本は並べない』ようにする。実はヘイト本を置きたくて置いている本屋は非常に少ない。主体性を持った本屋がもっと増えれば流れが変わってくるはずです」

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私は書店に「ヘイト本を置くな」とは言わない。それも日本社会の一断面の表れであるだろうし、書店にとっては生活の糧の一部だ。しかし私自身はヘイト本を並べた書店には行かない。書店もこんな読者もいると気付いてほしい。

自宅から数駅先の街で(明らかに意識的に)ヘイト本をほとんど置いていない書店を見つけた。意気に感じた私は、自分なりの応援として毎週1冊必ずその店で本を買うと決めた。

この「自分ルール」は確実に私の小遣い財政を圧迫しているが、当面は続けるつもりだ。最近は新書や文庫になりがちで、少々申し訳ないのであるが。

(特別論説委員)2020/7/26 11:00
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