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▲「二つの顔のムクゲ:国家象徴の訂正」(カン・ヒョバック慶煕(キョンヒ)大法務大学院教授著、416ページ.2万5千ウォン.)

「むくげの花(無窮花)三千里、華麗な山河/大韓の人よ、大韓を末永く保全せむ」

愛国歌のリフレーン部分の歌詞だ。ムクゲの歌はこの他にも多い。童謡「ムクゲ」は「ムクゲ ムクゲ我が国花/三千里カン・サネ我が国花」と称賛する。行きます「花の中の花」もやはり「花の中の花ムクゲの花、三千万の胸に/咲いたよ咲いたよ永遠に咲いたよ」として民族の精神を歌う。鬼ごっこをする時も鬼は手の平で目を隠したまま「ムクゲの花が咲きました」と叫ぶ。

夏の盛りに咲くムクゲは私たち民族と国家の明白な象徴と見なされてきた。国花や国章はもちろん最高勲章、大統領徽章、国会議員と地方議員バッジ、裁判所徽章、警察官と刑務官の階級章など国のほとんどすべての象徴をムクゲという特定の花が占めている。

ムクゲはいつから国家の象徴になったのだろうか?その背景は何で、過程はまたどのようだったのだろうか?ムクゲが民族の魂として象徴されるのは妥当なのか?光復節75周年を目前にしてその問いがより一層新しく近づく。

カン・ヒョバック慶煕(キョンヒ)大法務大学院教授は新刊「二つの顔のムクゲ:国家象徴の訂正」を通じて「ムクゲのように一国の象徴をほとんど独占支配する事物は世界人類史で空前絶後だ。ルーツ不明で倭色あふれる『ムクゲ』をいつまで大韓民国の国花にむかえるべきなのか」と問いかける。

カン教授によれば、ムクゲは韓国の歴史ではなかなか見られない花だ。「三国史記」「三国遺事」「帝王韻記」「高麗史」「高麗史概要」「承政院日記」など主な史書には一切登場しない。ただし「朝鮮王朝実録」にただ一度、ただ一文字出てくるが、幸運でなく短命の象徴としてであった。時調や歌辞、雅楽、唐楽、宗廟祭礼楽、文廟祭礼楽、宮中音楽でもムクゲは一音節も探せない。

中国、日本と異なり韓国ではムクゲの野生密集地は全く発見されないと著者は話す。100年余り前までは車嶺(チャリョン)山脈の南だけで栽培・生育され、その後、次第に改良されて今は休戦ライン近隣まで栽培可能地域を広げた。「3千里」という愛国歌の歌詞とは異なり、1千里程度だけで生育できるということだ。

このようなムクゲが韓国史に突然登場した契機は従日売国の代表的人物として批判を受ける尹致昊(ユン・チホ)の「愛国歌」歌詞だったという。ユン・チホは1893年11月、中国上海に潜伏していた頃、訪ねてきたナムグン・オクと相談してムクゲを国花に決め、これを自身が作詞した愛国歌のリフレーンに入れた。

一方、日本では自国の神花であるムクゲを象徴する歌を簡単に探すことができる。日章旗の原形は日の丸品種のムクゲであり、旭日旗の原形は宗旦品種のムクゲだ。明治日王は1870年、これらムクゲをそれぞれ形象化した日章旗と旭日旗を国旗と軍旗に制定した。

カン教授は「ムクゲの国に浮上した日本が韓国を『ムクゲ地域(槿域)』にねつ造した目的はムクゲを韓国の国花として身分洗濯する過程を通じて韓国併呑と内鮮一体作業の媒介体にしようとする帝国主義・軍国主義・膨張主義の凶計であった」と力説する。

要するに、日王領土の絶え間ない拡張である「チョンヤンムグン(天壌無窮=てんじょうむきゅう、天地とともに永遠に極まりなく続くさま)」とそれを花木で含蓄した「ムグンファ(無窮花=ムクゲ)」がユン・チホなど売国奴によって流布して今日に至ったという。そしてこのムクゲの象徴と意味はバッジの中核模様として生きている。
>>2-5あたりに続く

ソース:毎日経済(韓国語)"ムクゲは韓国の国花として資格があるのか?"
https://www.mk.co.kr/news/culture/view/2020/07/768619/