石破茂の華麗なる経歴

・父親の石破二朗参議院議員の死去に当たり真っ先に駆けつけてくれた田中角栄の助言で政界を目指したが、田中派でなく中曽根派から立候補した、政界デビューに当たり先ず第一の裏切り

・1993年自民が政権を追われるや、立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に
『私は、政権与党にいたいんです。自民党の歴史的使命は終わった』と言い捨てて離党届を出し見事に自民党を裏切る。

・小沢一郎を『真の改革者』と称賛し新進党結党に参加。その後小沢一郎が党首になると
『自分の考える政策とは違う』と言い捨てて総選挙直前に離党。

・自民党が政権党に返り咲くと、自民党に復党。
しかし、裏切り者を相手にする議員はおらず、伊吹文明のお情けで伊吹派に入れてもらう。運よく入閣すると『閣僚が派閥に属するのはいかがなものか、派閥は旧態依然としていると思いますよ』と言い捨てて伊吹派を離脱。

・麻生政権では農相を務めていながら支持率低迷で総選挙が近付くと、首相官邸に乗り込み『後任は麻生さんが指名すべきだと思うわけです』と謎の論理を展開して声が掛らないと見るや麻生おろしに加担。

・その後、安保関連法案担当大臣就任を打診されるも、野党の反発と難しい職務を回避するために理屈をこねて固辞、代わりに地方創生担当大臣で拝命するも、実績を残せないどころか、既得権益に配慮して加計学園問題で地方を見殺しにした。

・二階がぶち上げた自民党総裁任期延長問題では自分の総裁の目が無くなるのを恐れて総務会で吠えまくるがだれにも相手にされなかった。仲間が欲しくなったのか、派閥政治を否定していたにも拘わらず石破派の水月会を結成。自説を裏切り有権者を裏切った。

石破か自民党内で嫌われまくってる理由が良くわかる