法政大学のOB会に政治家を紹介してくれと頼んだところ、法政大学出身の衆議院議長
中村梅吉の秘書を紹介されたのだ。中村梅吉は「もっと若い人の秘書をやりなさり」と
衆議院議員小此木彦三郎を紹介してくれた。
というのだが、まあこのへんは「信じるも信じないもあなた次第」だろう。
もっと強力なコネがあったと考えた方が自然と思える。

ともかくも念願の国会議員秘書になれた菅ちゃんは胸を膨らませ、仕事に励む。
秘書の仕事は性に合っていた。幸運はさらに続く。
小此木彦三郎が通産大臣になったのだ。
菅ちゃんは大臣秘書官を務めることになる。

四年間大臣秘書官を務めたあと、菅ちゃんは横浜市議会議員に立候補する。
元々小此木彦三郎は横浜市政のドンと呼ばれた人物で、横浜に強固な地盤を持っていた。
菅ちゃんに目をかけて将来は国会議員にさせようと思っていたが、まずは横浜市議会議員も
よかろうと考え、立候補を命じた。
何せ、市議会といっても政令都市横浜市の市議会だ。
大阪市・京都市・名古屋市・神戸市と並んで、横浜市は五政令都市の一つだった。
田舎の県議会なら、政令都市の市議会の方が格が上といっていいほどである。
所沢市や松戸市の市議会議員になるのとはわけが違う。

菅ちゃんは初めての立候補だったが、小此木彦三郎の看板を背負った落下傘部隊である。
勝利は最初から決まっていた。楽勝であった。