https://kr.theepochtimes.com/assets/uploads/2020/09/5f8d5d49aa4f501446c4c8d581a638af-795x436.jpg

南太平洋のまん中、済州島の10分の1の大きさでとても小さい無人島があった。19世紀まで捨てられた土地だったこの無人島には今日、3,000人余りが暮らしているが、そのうち45%が驚くべきことに韓国系だ。これはどういうわけだろうか。

太平洋戦争が勃発した20世紀始め、日帝は南太平洋の無人島テニアン(Tinian)島を占領して開墾を始めた。日帝はそこに朝鮮人数千名を強制徴用し連れてきて働かせた。朝鮮人強制徴用者などは南太平洋の熱い太陽の下、手で珊瑚を壊して道を整えなければならなかった。水さえ提供されない苛酷な環境の中で、お互いが小便を一緒に飲み、小便を一人で飲んだと争いになるほどだった。

日帝の悪行はそこで終わらなかった。敗戦後は島から後退しながら朝鮮人を大量虐殺した。日帝に引きずられて行った朝鮮人の大部分は故国の地を踏むこともできないまま、この過程でほとんどみな命を失った。一部だけがジャングルに隠れて命をかろうじてつないだ。

地獄からかろうじて生き残った彼らはその後、島に到着した米軍に故国に送ってほしいと要請した。しかし、紛らわしい時局の中で彼らの大部分は再び朝鮮に戻れなかった。当時、テニアン島に滞留した南太平洋原住民は26人。原住民は朝鮮人をかわいそうに思って助け、生き残った朝鮮人は原住民のおかげで島に適応して定着することができた。

その後、原住民は誠実で賢い朝鮮人を家族に迎えた。朝鮮人はそんな残酷な戦争で生き残って南太平洋の小さい島の原住民になった。今日、小さくて平和なテニアン島だが、まだ道を通ると第二次世界大戦で使われた薬莢が発見されるほど戦争の傷痕はあちこちに残っている。

そして私たちにはテニアン島は名前さえなじみが薄いが、分かってみれば現在のテニアン島住民の45%が大韓民国人の子孫や韓国系混血血統だ。テニアン島に行けば多くの家に原住民より皮膚が白い韓国人そっくりの家族が暮らしている。King(キム)、Sin(シン)、Choi(チェ)等の姓を使う。

彼らは韓国語が少しできて、キムパプ(のりまき)のような韓国料理を作り、韓国訪問もたまにすることが分かった。また、まだ韓国人の後えいであることを自覚して歴史意識を有している。テニアン島の中心の村であるサンホセ村にはテニアン島で発掘された朝鮮人の遺骨の魂を賛える「平和祈願・韓国人慰霊碑」が立っている。

ソース:エポックタイムズ(韓国語)南太平洋まん中小さい島、こちら人口45%が韓国人の血管を持つ後えいだ
https://kr.theepochtimes.com/%EB%82%A8%ED%83%9C%ED%8F%89%EC%96%91-%ED%95%9C%EA%B0%80%EC%9A%B4%EB%8D%B0-%EC%9E%91%EC%9D%80-%EC%84%AC-%EC%9D%B4%EA%B3%B3-%EC%9D%B8%EA%B5%AC-45%EA%B0%80-%ED%95%9C%EA%B5%AD%EC%9D%B8%EC%9D%98-%ED%95%8F_544750.html