【朝鮮日報】「石島は明らかに独島」 新たな証拠が出てきた[11/1] [右大臣・大ちゃん之弼★]
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勅令41号の内容、1968年に公開…
それ以前も研究者らは石島と呼んでいた
10月25日は「独島の日120周年」に当たる日だった。この日は、1900年10月25日に制定された大韓帝国の「勅令第41号」が石島を鬱島郡(鬱陵島)の管轄区域内に置くと明示したことを記念する日だ。韓国側は「石島」が独島の別表記だという立場だが、日本側はそうではないと主張している。
「石島は明らかに独島」であることを立証する新たな根拠が提示された。ハンア文化研究所の所長で独島研究家のユ・ミリム氏は24日、独立記念館が開催した学術会議の発表文で「1968年以前は勅令第41号の内容は知られていなかったが、多くの学者が石島を独島の別名と認識していた」と明かした。
1950年代に日本が独島の領有権を主張した時点でも、韓国外務部(省に相当)は独島が鬱陵島の行政区域に編入されたという公的な記録を入手することに失敗した。しかし68年に法学者の李漢基(イ・ハンギ)ソウル大学教授が、大韓帝国議政府総務局の刊行した『法規類編 続弍』で当該部分を見つけ出したことで、勅令第41号の内容が初めて知られるようになった。
そのときまで、勅令第41号で「石島は鬱島郡の管轄」だとしたことを誰も知ることはできなかったのだ。ところが68年以前の時点でも、方鍾鉉(パン・ジョンヒョク)、李崇寧(イ・スンニョン)、洪以燮(ホン・イソプ)、朴観淑(パク・グァンスク)、黄相基(ファン・サンギ)、柳洪烈(ユ・ホンリョル)、朴大錬(パク・テリョン)など多くの学者が「石島」を独島の別名だと紹介していた。勅令第41号を見て「石島」を独島だと主張したわけではなく、もともと独島の別名が石島だったことになる。19世紀末、湖南(全羅道地方)出身の住民らが「石の島(トルソム)」という意味でこの島を「トクソム」と呼び、この意味を取って表記したのが「石島」、音を取って記したのが「独島」だった。
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2020/11/01 05:30
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/10/30/2020103080107.html もう「独」ですら無いって言う
こいつ等自身、漢字の意味が分かんなくなってんだろうな
(孤独な、ポツンとした、島 いちいち、面白すぎるw
まあ、歴史とか、まともに研究したことが無い
エビデンスが、なぜエビデンスになり得るとか、分からないミンジョクならではだな コイツらの論理を使うとアンドロメダも自国領に出来る 江戸時代から日本が実効支配してる。
そのまま明治政府へ受け継がれた。
コリアの出てくる場がないよ。 戦後のドサクサ紛れに竹島を盗んだ韓国
【竹島】日本が一番弱い時に竹島を取った韓国 下條正男・拓殖大教授
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1539130079/
韓国 『 竹島不法占拠 』 の歴史 日本人の死傷者44人
www.news-postseven.com/archives/20101022_4077.html
竹島の領有権に関する我が国の立場と韓国による不法占拠の概要
www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/gaiyo.html
【竹島を考える講座】韓国は不法占拠をどう正当化させていったか 日韓が交換した口上書を読み解く[10/6]
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1507274959/
【国民防衛軍事件】
朝鮮戦争中の1951年1月に、韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や
兵糧米などを横領した事件。横領により9万名余りの韓国軍兵士が餓死したとされる。
この事件によって、韓国陸軍本部では李承晩への反感が高まった。
李承晩はこの韓国民の不満をそらすために1952年1月18日にアメリカ等の国際的な反対を押し切り、
李承晩ラインを一方的に宣言し、竹島の不法占拠を開始した。<−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−ここ重要
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E9%98%B2%E8%A1%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6 >>347
太政官指令「竹島外一島は本邦と関係なし」
この「竹島」は今日の鬱陵島、「外一島」が当時の呼び方で松島、今日の竹島だ。
君の言う通り、「竹島外一島は朝鮮のものであり本邦と関係なし」とは書いてないよな。
だからこの二つの島は朝鮮のものではなく、日本にとっては帰属不明の島だ、ということになるのか。
ならないよ。当時の竹島(現鬱陵島)が朝鮮の島であったように、当時の松島(現竹島)も朝鮮のものだという理解だったの。
日清戦争に勝利した後、日本政府は日本の漁民や事業者の朝鮮進出を奨励するようになるが、
1903年発行の『韓海通漁指針』、1904年発行の『最新韓国実業指針』、1905年刊の『韓国新地理』のいずれにも
竹島は『ヤンコ島』として「鬱陵島から東南30里の海上にある無人島」で、江原道所属の朝鮮の島と紹介されている。
中井養三郎が竹島を朝鮮の島だと思っていたのも当然のことだ。それが事実だったから。 >>356
1904年9月に竹島の現地調査を行った軍艦新高の報告書では「韓人はこの島を『独島』と表記し、日本人漁師たちは『ヤンコ島』と呼んでいる」と記載してるしな。
この現地調査だって朝鮮の島であることを大前提に、この島に監視塔の設置が可能かどうかを調べたんだから。 >>342
あ、ついに手前勝手な価値判断入れだしたw
客観的な第三者装ってたのに、辛抱の足らんやっちゃww >>345
内藤【韓米合同委員会】正中ww
あんなのが書いたシロモノに目を通してドースルww 内藤は韓米合同委員会を根拠にSF条約で竹島を韓国領にしたと言ったんだっけ?
ブーメランだな
https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima08/iken-C.html?site=sp
内藤正中『竹島=独島問題入門--日本外務省「竹島」批判』2008,p.53は、戦後の竹島爆撃演習について
「1953年3月19日韓米合同委員会の決定で指定が解除される」としているが、これは事実であろうか?
著者に出典を照会したところ、内藤正中・金柄烈『史的検証竹島・独島』岩波書店2007,p.202の金柄烈氏の説によるとの回答を得ました。
しかし、この記述は、米韓ではなく「日米」合同委員会の間違いだと考えられます。 堀ってこの大韓全図の于山を間違いなく竹島と書いた奴だよね
内藤は江戸時代の奉書をもって「朱印船だ、幕府が
外国船と認識するしてた証拠だ」とか書いてなかったっけ?
内藤じゃなくシン・ヨンハだったかな
https://blog.goo.ne.jp/utak_001/e/0c46d354d8215b217955925a174a51a5 >>357
外一島が竹島と仮定しても日本の放棄によって無主地になるだけ
んで島根編入により実効的に先占取得が成立
韓国に求められているのは日本の活動でも認識でもない
大韓帝国が竹島を実効支配していた疑義のない証拠
これが証明されない限りたとえ日本が竹島を大韓帝国領だと考えて放棄してたとしても錯誤でしかない
インドがコロンブス(スペイン王の特許あり)の認識を根拠にアメリカ大陸の領有権を主張するようなもんだ 日本が朝鮮領と「認識」していれば朝鮮領とか、すごいな日本。
「認識」ひとつで他国の領土を決定とか、神か? 神なのか? >>357
大韓帝国はそう思ってないようだが?
勅令41号の請議書でも国定教科書に選ばれた大韓地誌でも竹島は朝鮮領土じゃないとしている 強制連行の新たな証拠として
何度も白馬を発掘してくるのと同じか。 >>356-357
以下の経緯が全て。これとSF条約の経緯からして日本領というのはどうやっても動かないよ >261
それ以外の全ての要素は領有権根拠として扱うには蛇足にしかならない
最後はICJ解決しかないんだから、いくらごねたって徒労にしかならない
2020/01/31
「反日種族主義」を読む(45)
https://amin9724.livedoor.blog/archives/1076735255.html
その結果1900年、鬱陵島郡域を画定するとき、独島は除外されていた。
周知のとおり1905年、日本は独島を自国の領土に編入した。ある契機で独島の履歴を調査し、
それが朝鮮王朝に所属していないことを確認してからのことだった。
一年後の1906年、その事実を偶然知った鬱陵郡守が、「本郡所属の独島が日本に編入された」と報告したが、
中央政府はそれに対し何の反応も示さなかった。すでに日本に外交権を奪われた保護国だったからだ、という弁明は困るのだ。
第三国との外交の権利を奪われていたとしても、自らの国土と人民に対する支配権は残っている独自の国家だった。
大韓帝国が日本に異議を唱えなかったのは、独島に対する認識がない中、日本の行為を大して重要なことだと思わなかったためだった。
まさにこの部分が国家間領土紛争の「決定的時点(critikal point)」だと思われる。
日本が独島を自国の領土に編入する際、それを認知した大韓帝国は異議を唱えなかった。
そのため今日韓国政府が、独島問題を国際司法裁判所に提起しようという日本政府の主張を受け入れられない立場にあるのは、
誰もが知っている事実だからだ。 内藤正中 島根大学名誉教授 専攻:地域経済史 2012年没 享年84才
専攻の地域経済史では目だった活動はないが、島根県の教職員組合をまとめ上げた活動家としての実績が評価され
経済学部の存在しない島根大学の教授に就任。
日本教職員チュチェ思想研究会(!)の全国集会に招かれて記念公演を行う一方、
韓国から「良心的日本人」に認定されるなど、南北朝鮮双方から評価が高い。
なお、彼の研究者としての姿勢を詳しく知るためには『韓米合同委員会』で検索することをお薦めします。
「日米合同委員会」の誤訳だった『韓米合同委員会』を一次資料の確認もせずに鵜呑みにし
「アメリカが竹島を韓国領と認めた証拠」と主張。
その後、誤訳だったことが判明した後になっても、公表も訂正もせずに同じ主張を継続する。
このような研究者の記した「学術書」に対し、お金を惜しむのは当然としても、
多少なりとも時間を費やす価値があるのか、良く考えるようアドバイスします。 >>1
ねつ造が絶えないバ韓国には死の未来しかないね >>369
この『反日種族主義』の李栄薫氏が竹島問題にあまりに粗雑で粗暴な論を展開しているのが分かって参考にはなったよ。
根拠のない断言を多用しているね。
https://amin9724.livedoor.blog/archives/1076735255.html
「その結果1900年、鬱陵島郡域を画定するとき、独島は除外されていた」と断言しているのだが、
「独島が除外されていた」とする具体的な根拠は何も示さずに頭から決めつけて見せただけだ。
1911年に在米コリアンたちが出版した李承晩著『独立精神』に所載の「朝鮮地図」にある鬱陵島の南に描かれている「トルド」がまさに勅令41号にある「石島」だ、というのはその通りだと思うが、
「この地図によって石島が独島ではないことが明確になった」と断言しているのだが、これももまた全く根拠を提示せぬ決めつけに過ぎない。
李栄薫はいったい、この地図の「トルド」が今日のどの島に当たると考えているのか、それには言及がない。
この地図の「トルド」(石島)は、竹島の西島と東島をうかがわせるような小さな二つの島として描かれている。
この形状からしてむしろこの「トルド」(石島)こそまさに今日の竹島=独島を表していると見ることができるのではないか。
以上、『反日種族主義』の記述を見る限り、李栄薫の竹島に関する論は、まったく実証性のない思い込みと断言に過ぎず、日本の研究成果に照らしても何ら酌むべきものがないことがよく分かった。 >>372
> 「トルド」(石島)は、竹島の西島と東島をうかがわせるような小さな二つの島として描かれている
笑うところか
いつから竹島が90km移動した鬱陵島の南にきたんだ?
ちなみに鬱陵島南には獅子岩とか亀岩とかある なんにしたって、実効支配してる韓国のほうが有利
日本政府は遺憾砲打つだけでビビりだから何も出来ない
この先、地球が滅びるまで独島は韓国が支配する
日本がどんだけ資料を捏造して出してきても無駄なんだよな
これが事実なんだよ
俺たち日本人は負けなんだよ >>356
太政官指令、朝鮮水路誌は竹島を朝鮮領土とみなしていたという根拠にならない、
という点について反論は無いか?
『韓海通漁指針』、『最新韓国実業指針』、『韓国新地理』
については、朝鮮の範囲として東側の境界を東経130度35分としているようだ。
東経131度にある竹島を朝鮮領土とみなしていたかと言われれば、それは怪しいだろう。
それに、当初は「竹島は朝鮮領」という認識を持っていた中井養三郎についても
政府要人から説明を受けてあっさり認識を変えている。
「竹島は朝鮮領」という認識はその程度の曖昧なものだったということだ。
あと、軍艦新高による現地調査が竹島を朝鮮の島であることを前提にしていたという話の根拠は何? >>374
韓国がいくら税金を投入して占領しても韓国領にはならない
遺憾砲により「平和的な実効支配」という国際法の要件が成立しない >>374
公式な抗議が継続されている以上国際判例により韓国領土には永遠にならない
これが法治制度 >>375
反論したでしょ。ちゃんと読みなさいよ。
https://www.nul.nagoya-u.ac.jp/libst/pdf/annals_12_02.pdf
「日本水路誌」は日本領海を他と区別して明示する目的で1892年から順次刊行された。
日清戦争勝利後1895年の下関条約で台湾や澎湖島が日本領土になると、1897年の改定版には、それらは「日本水路誌」に載せられていった。
1897年版「日本水路誌」第四巻本州北西岸の項には、隠岐の島までが含まれるのに止まり、リャンコールト列岩(竹島)の記載はなく、
1894年版・99年版の「朝鮮水路誌」には「リアンコールト列岩」として掲載されている。
1907年6月刊行の「日本水路誌」第四巻本州北西岸項には「竹島」が記載される。
海軍水路部が作った朝鮮の海図「朝鮮全岸」には刊行年次の異なる3つの版があるが、
1896年版には「リアンコールト岩」(竹島)が含まれており、
1906年版からは除外されている。 >>375
曲学の輩 下條正男の説を真に受けてたらダメよ。
まともな学者の本を読まないと。
入手しやすいものだと、池内敏さんの『竹島 もうひとつの日韓関係史』(中公新書)とか。 無主物先占だから宣言だけしてもダメ
ちゃんと占領した証拠出さないと >>372
韓国の古地図では、鬱陵島の南側に小岩島がいくつも並べてるものが多い
獅子島や亀島などの南岸沖の奇岩が名勝となってて古くからの観念となってるんだろう
8/19 真夏の大邱&鬱陵島旅 鬱陵島編C 島で唯一日本語可の観光タクシーでAコース周遊@
https:
//ameblo.jp/byonjeonju2/entry-12305189789.html
https://stat.ameba.jp/user_images/20170827/15/byonjeonju2/21/0b/p/o0524042814014252139.png
2008.7 神秘なる奇岩の島 鬱陵島(ウルルンド)
https:
//4travel.jp/travelogue/10280701
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/14/71/73/src_14717360.jpg 于山島
https:
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8E%E5%B1%B1%E5%B3%B6
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/79/Gwang_Yeodo_18th_century.jpg
広輿図
竹島問題に関するQ&A
https:
//www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/takeshima/page1w_000022.html
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/images/gaiyou/img27.gif
▲「邱圖」(1834年)の「鬱陵島図」(天理大学附属天理図書館蔵) 竹島問題への意見 > 質問-B.明治から第二次世界大戦末
https:
//www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima08/iken-B.html
https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima08/iken-B.data/3.JPG
資料3『大韓地誌』所収「江原道図」 >>381-383
そして鬱陵島の旧称が于山島で、いずれも大きな丘(山)の島を意味している
意味が同じなのだから同じ島のことなのだが、
鬱陵島に長く空島政策を敷いたために島の事情に疎遠となってその同一性が揺らぎ、
ある時期から別の島として併存させている地図が出現し始めた
あるいは附属島の竹嶼(チュクト)のことを于山島と呼んだり、大于島(観音島は小于島)と呼んでる時期もある
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0d/%E9%AC%B1%E9%99%B5%E5%B3%B6%E5%9B%B3%E5%BD%A2%281699%29.jpg/615px-%E9%AC%B1%E9%99%B5%E5%B3%B6%E5%9B%B3%E5%BD%A2%281699%29.jpg
鬱陵島図形
この于山島は、竹嶼(チュクト)を指しているなら鬱陵島の東側に記されるところが、
西側に描かれてる地図もある。
これは于山島と鬱陵島が同一島なのか判然としなかったためだろう。
判然としない于山島が、時に鬱陵島の西側に描かれているという事実は、
まさしく于山島は独島(竹島)ではないということを証明している
于山島は竹島ではない
https:
//www.knak.jp/munikai/FYI/takeshima-2.htm
https://www.knak.jp/FYI/takeshima/paldo-chongdo.jpg
八道総図 >>384
この鬱陵島と于山の名を併記した地図が、
『独立精神』所載の「朝鮮地図」と酷似している
違いは于山の文字が東側か西側かでしかない
竹島問題に関するQ&A
https:
//www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/takeshima/page1w_000022.html
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/images/gaiyou/img28.gif
▲「大韓全図」(東洋文庫 所蔵)
https://livedoor.blogimg.jp/amin9724/imgs/2/b/2bf0260b.jpg >318
・「朝鮮地図」(李承晩著『独立精神』 所載)
このことが意味することは、
『独立精神』所載の「朝鮮地図」において、
鬱陵島の西側に記載された島名「トルド(石島)」とは、「于山」を意味しているということだ。
すなわち鬱陵島の別名のことである。
一方で、上述した通り、于山とは竹嶼(チュクト)を指している場合もあるのだから(鬱陵島の東側に記述された場合)、
トルド(石島)とは竹嶼(チュクト)のことであり、
勅令41号に記された「竹島石島」とは、「竹嶼(チュクト)と石島」という意味ではなく、
「竹嶼(チュクト)すなわち石島」という意味だとする解釈も成立し得るのではないかと思われる。 >>379
シレッと内藤正中除外してやんのww
ウンウン、こーゆー姑息さこそが韓国側の特徴だよねw >>378
勅令41号や大韓地誌を国定教科書に採用したことで大韓帝国は竹島は朝鮮領土じゃないとしている
1900年以前の日本の資料を出したところでこれらにより結果1900年時点で竹島は無主地だということにしかならない >>378
いや、反論になっていない。
君が主張したいのは「日本人は竹島を朝鮮領土だと認識していた」だろう?
しかし君が証明しているのは、あくまで「日本人は竹島を日本領土だと認識していなかった」という点のみ。
この2つはイコールではない。
君が提示した池内さんの論文でも結論部分でそのように述べているではないか。
「朝鮮水路誌に記載された島 = 朝鮮領土の島」ではない根拠については>>347に述べたとおりだ。 >>306 >>318
> イ・ヨンフン教授は、その地図で鬱陵島の左側に表記された文字を「トルド」と読んだ。そしてその「トルド」がすなわち「石島」というのだ。
>だが、筆者は、その地図上の表記を「トルド」でなく「ウルド」(鬱島)と読んだ。
https:
//chaamiey.blog.f●c2.com/blog-entry-3295.html
https://blog-imgs-134.fc2.com/c/h/a/chaamiey/2578_66_02.jpg
https:
//amin9724.livedoor.blog/archives/1076735255.html
https:
//livedoor.blogimg.jp/amin9724/imgs/2/b/2bf0260b.jpg
いや、無理だろ。どう見ても左側の文字は「トルド(石島)」だ
톨도
; トルド
우르
; ウルド
울능도
; ウルルンド >>385
小于島=観音島=島項=鼠項島=石島
観音島は元々は岬という認識で、島として扱われてなかった
それを島として明記する際に、
ちょうど鬱陵島を鬱島と(二文字に)改称するという勅令41号に趣旨に沿って、
鼠項島(=観音島)を同音の石島と改称した。
鬱陵島の地図には、その古名の于山が併記されてることがしばしばある
于山島という島名があぶれて残ってるんで、どこにあるやらと扱いに困ったんだろう
それでやむなく鬱陵島に併記してしまってる
同じように(鼠項島→)石島は、新たに命名されたも、
元来は岬の認識だから、そのうちそれがどの島のことか分からなくなってしまい、
どこかにはあるんだろうから、これもとりあえず併記しておこうという発想に至ったはずだ。
一方、竹島は竹嶼(チュクト)のことだから改めて明記するまでもない
結果として鬱陵島の東隣に石島の名だけが記載されている
これはちょうど鬱陵島の東隣に于山島の絵が書かれてる地図と同じである。
石島が小于島と呼ばれていたことがあるのも、
于山島という鬱陵島の別称が、いつのまにか竹嶼(チュクト)の別称になってしまったり、
竹嶼(チュクト)を大于島と呼んだりしてしまってるのと同じ背景によるもので、
既に他の名前で代替されてしまった島の古名が、使われずに余ってるのを
捨てるわけにもいかず、併記しておいたのだろう
従って、石島というのはいろんな面で于山島(鬱陵島)の附属島であり一部分のことなのである。 >391 一部修正
→ 結果として鬱陵島の西隣に石島の名だけが記載されている(『独立精神』「朝鮮地図」) ホン・ソングン氏からイ・ヨンフン教授へ反論 2
これは勉強になるな。 反論? 聞くだけムダ。どうせ大したことは言っていない。 磐井の王は韓国人だった。
それを継体が侵略した。九州は韓国に返すべき つか、コイツは何?
領域権原として「征服」がまだ有効な時代の話を延々と続けて「同義的責任」とか言いたいわけ?
それとも半月禿のように「狼どもの国際法は(韓国に都合が悪いから)無視して良し」とでも言いたいの?
あるいは「固有の領土」という日本の主張を崩しさえすれば、日本領でなくなるとでも?
そこまで言いたいのなら、まず、李ライン時に既に不法化していた「征服」を今でも続けてる韓国に文句言えよ。
そんで、一度併合されて国体すら失ったくせに「独島は韓国『固有』の領土」とか寝言言ってる韓国政府を問いただせや。 国際裁判で抗議のない実効支配の証拠がある国を実効支配の証拠がない国が負かしたことはないからね
韓国は今更騒いでも権原を取得できん どうせ勅令第41号(2019.10.31制定)とかだろ >>1
読み違うじゃない
ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャヒャ >>391 訂正
→ これはちょうど鬱陵島の西隣に于山島の名前と絵が書かれたり(八道総図>384)、
あるいは東隣に于山の文字や絵が記されてたり(大韓全図>385、広輿図,鬱陵島図>384、江原道図>383)するのと同じである 韓国の竹嶼(チュクト)が、
日本の鬱陵島に対する旧称である「竹島」と被ってしまうだろ?
韓国勅令41号は竹嶼(チュクト)を「竹島」と簡略字で記しているから尚更だ
韓国政府は日本の竹島との区別を図って竹嶼(チュクト)に別名を与えたとは考えられないだろうか?
それゆえ竹島石島(竹島すなわち石島)だ。
ところが後年になって石島は竹嶼とは別の島名だと錯誤されてしまったと。 >>261
実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜 第34回. 事実無根。韓国の「独島の日」について
https:
//www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-p.html
https:
//www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-p.data/jitsujikyuze2-3-2.JPG
(図3)海図306号「竹邊灣至水源端」所収「鬱陵島(松島)」(部分)(1909年刊行、鬱陵島は1908年測量)
독도 본부 (独島本部)
http:
//dokdocenter.org/dokdo_news/index.cgi
한국의「독도의 날」은 사실무근 (韓国の「独島の日」は事実無根)
http://www.dokdocenter.org/dokdo_news/print_paper.cgi?action=print_paper&number=10534
http://www.dokdocenter.org/dokdo_news/wys2/file_attach/2011/12/21/1324438792-90.jpg
「独島の真実(Truth of Dokdo)」について。
1905年、日本の独島編入は無効@ - 竹島問題・日本領土
http:
//windows2012.bakufu.org/takeshima6a.htm
http:
//windows2012.bakufu.org/1909kaizu_so_moku_somu01.jpg
海図306号「竹邊灣至水源端」部分。 >>1 >404
「独島」は「石島」ではなくて「甕島」
https://chaamiey.blog.f●c2.com/blog-entry-1408.html >307
崔南善(チェ・ナムソン、1890年〜1957年、朝鮮の文学者・歴史家)は、戦後に韓国政府が竹島を奪取しようとして、
「竹島/独島を韓国領土とする歴史的根拠はどんなものがありますか?」と聞きに行った相手の人物でもあり、
竹島問題の論争において結構重要な人物です。
1948年に発行した『朝鮮常識』という本で、朝鮮の領土の東端を「東経130度56分23秒 慶尚北道鬱陵島竹島」と書いた人物でもあります。
竹島/独島の東経は131度55分ですから、彼は竹島/独島は全く朝鮮の範囲と考えていませんでした。
崔南善は、独島はその形が「甕」(かめ/韓国語でトクあるいはドク)に似ているからドクソムと呼ぶようになった、と言っています。
近世、付近の居民の間では、島の形がトク(甕・かめ)のようだとして、普通、「ドクソム」と呼ばれたところだ
(鬱陵本島のごく近くにも別のドクソムがある)。
『鬱陵島と独島−韓日交渉史の一側面』(1953年 崔南善) の「独島=ドクソムの概観」の項
http●//outdoor.geocities.jp/yabutarou01/a.html
→ https://take8594goole.wiki.f●c2.com/wiki/%E5%8F%AF%E4%B9%8B%E5%B3%B6%EF%BC%88%E5%B4%94%E5%8D%97%E5%96%84%EF%BC%89
「ドクト」は「かめ島」とマッカーサーに手紙
https:
//chaamiey.blog.f●c2.com/blog-entry-1410.html >307
これは崔南善の遺稿ですが、実際にこの内容の手紙が1948年8月5日付けで韓国の「愛国老人会」(会長:゙成煥)から
マッカーサーに送られています。つまり、崔南善が原稿を書いたわけです。
この中では、竹島のことを、
a small island called "Docksum" in Korean name, meaning a small pot-shaped island
と表現してあります。マッカーサーに「ドクト」は「かめ島」と言っちゃったわけですね。
ホン・ソングン氏からイ・ヨンフン教授へ反論 2
https:
//chaamiey.blog.f●c2.com/blog-entry-3295.html >306
それは赤字にした部分、すなわち「1948年に憂国老人会がマッカーサー司令部に送った請願書」でも独島を「ドクソム」と呼んでいる、
という部分なのだが、その憂国老人会の手紙では、「ドクソム」という名前は甕(かめ、韓国語で「トク、ドク」という)の形をした島の意味だ、
と明記してある。 >405 修正
→ https://take8594goole.wiki.f●c2.com/wiki/%E5%8F%AF%E4%B9%8B%E5%B3%B6%EF%BC%88%E5%B4%94%E5%8D%97%E5%96%84%EF%BC%89 観音島の別称である鼠項島を石島と表記したという説が有力だと思うが、
別の見方としては>>300の考えもあり得る気がする
鬱陵島近傍に存在してる全ての小島や岩礁>381の総称として使ってるのではないかと
・勅令41号の「竹島石島」では、石島とは観音島のことと思われるが、竹嶼以外の、鬱陵島に附属する全ての岩島を指している
・李承晩「朝鮮地図」>304の中の石島とは、鬱陵島に附属する竹嶼を含む全ての岩島のことを指している、
もしかしたら鬱陵島本島まるごとに対して石島の別称を併記してる
こういう可能性もあり得る >>407
普通に考えれば勅令41号の請議書に鬱陵島とその周囲2kmの範囲が書かれてるんだからその範囲内の島ととるでしょ >>407の論は、「独島」についてではなく、あくまで「石島」について>300の発想だけ借用したものな
「石島」というのは特定の島のことではなく、
鬱郡の範囲にある岩礁や岩みたいな小島の全てを普通名詞で表してるという説 >300
係争の「独島(竹島)」は「甕島」の同音から転じたものだろうけど、
“独島”という単語自体は普通名詞で、
日本の大島、小島、みたいな語感の言葉らしくて、他にも使われてる>405
> 鬱陵本島のごく近くにも別のドクソムがある
これ以外にも別のまるで違う場所の島を「独島」と書いてる文献を見たことがある >>403
下條正男じゃあるまいし(竹島すなわち石島)なんて並列の仕方をするわけないだろ。竹島と石島は別の島だ。
勅令41号の竹島は竹嶼、石島は独島だよ。 >>411
もしかして19世紀末の鬱陵島への移民は大部分が全羅道の出身者だという嘘を信じている人? >>411
鬱陵島(于山島)の付属島は歴史的に竹嶼(大于島)と鼠項島(小于島)の2島だとはっきり確定してる こんなこと議論になってること自体がおかしい
どの地図もこの2島が特別に命名されてるんだから、
石島が鼠項島(観音島)でないなら、
なぜ観音島は外されたのか説明してもらわんと >>411
その解釈だと請議書に書かれてる範囲が矛盾する >>411
内藤"韓米合同委員会"正中なんて似非歴史学者を鵜呑みにしてるヤツから何言われてもなぁ…ww さすがに「竹島は日本固有の領土です」とはもう言わなくなった。
元禄竹島一件と太政官指令が分かっているから。
あとは、
内務省は「朝鮮のものである疑いのある島だから」と中井養三郎の領土編入願を却下したのに、
外務省が「日露戦争遂行に有利だから至急日本のものにしてしまえ」ということで閣議決定に至っている。
韓国に事前協議も事後通告もせず。新たな領土の取得なのに官報にさえ公示しなかった。
これを押さえていれば、頭に血が上ることもないわな。 よし、じゃあその証拠とやらを持って国際裁判所行ってみようぜ。 >>418
日本政府の建前としてはまだ掲げているよな。
でもこの板で細かい話を書き込むくらいの人たちになると、
もう固有領土論は成立しないと分かっているから言わないな、ということよ。 >>419
占有している側からするとわざわざ国際裁判所に持ち込みはしないよな。
日本だって尖閣諸島の問題を国際裁判所には持ち込まないだろ。 日本国民の8割方が
@元禄竹島一件
➁太政官指令
B戦争遂行目的で竹島を急遽秘密裏に領土編入
この三つをしっかり理解すれば、もう竹島問題は解決したも同然じゃないの。
そして韓国に渡したらいいんだと思う。日韓関係が画期的に改善すること間違いなしだ。
どうよ? 誰も見てないのにIDコロコロがすげー知ったかしてるのがまじでうけるwwwwバカにすればするほどぼろが出るから笑えるんだよなこいつwwww >>421
中国がICJに提訴するなら応訴するって明言してる日本と
三度に渡って日本のICJへの付託のお誘いからトンズラしてる韓国とを
一緒にしないでくださいなw >>422
韓国国民の全てが国際法をしっかり理解しても、解決しないだろうな
遵法精神皆無だからw >>420
お前のあげた 太政官指令 →竹島は日本領土じゃない
勅令41号の請議書・大韓地誌 →竹島は朝鮮領土じゃない
結論 竹島はどこの領土にもなったことがない無主地
その無主地を日本が領土として1905年に編入
これが竹島は日本固有の領土ってことになるだろ >>427
勝手に内輪で「無主地」ってことにしただけのことで、事実確認はしてないから。
内務省ははっきり「朝鮮のものである疑いあり」として領土編入願を却下したのに、
大韓帝国に事前協議も事後通告もしていないんだから。
1870年4月、朝鮮に派遣された外務省員の報告書『朝鮮国交際始末書』では「竹島松島朝鮮付属に相成候始末」とあり、
『韓海通漁指針』(1903年)、『最新韓国実業指針』(1904年)、『韓国新地理』(1905年)など日本人が執筆した当時の韓国進出ガイドブックのいずれにも、
竹島は韓国江原道鬱陵島の属島「ヤンコ島」と記述されている。『韓海通漁指針』に至っては、「晴れた日には鬱陵島の山の峰から見える」とまで書いてあるぞ。
竹島は鬱陵島の属島で朝鮮のものだというのが日本側の常識だったんだよ。だから中井養三郎も朝鮮のものだと思っていたし、だからこそ当初は大韓帝国に交渉して竹島を貸し下げてもらおうとしてたんだろ。 >>429
勅令41号の請議書出したの誰?
大韓地誌を国定教科書に採用したのは誰? >>429
日本側の認識は勅令41号の請議書・大韓地誌 これらが出た時点で無意味なんだよ
1900年以前日本が竹島は朝鮮領土だと認識していた場合
勅令41号の請議書・大韓地誌を国定教科書に採用したことで日本は竹島は朝鮮領土では無く無主地だと認識を改めた
そのうえで無主地を日本領土に編入
結果日本固有の領土となる
1900年以前日本が竹島は日本領土だと認識していた場合
勅令41号の請議書・大韓地誌を国定教科書に採用したことで日本は竹島は朝鮮領土ではなく古来から日本領土だと確信した
結果日本固有の領土となる
どっちのパターンでも結局結論は日本固有の領土となるんだよ >>429
ちなみに勅令41号の請議書を大韓帝国の内輪だけとするのは無理だぞ
請議書作成のため調査された内容を基に1900年6月に日韓合同の審問を行ってるからな
あと確かそのために調査に日本人も同行してたはずだぞ >>432
1900年6月の鬱陵島日韓合同調査の報告書を貼っておきますね。
http://db.history.go.kr/item/level.do?levelId=jh_014_0130_0470
日本からは釜山領事館の赤塚正助が参加してます。
韓国からは勅令41号の作成に関わった禹用鼎も参加してます。
最後に添付された地図には当然ながら島根県の竹島は載ってません。
鬱陵島の付属島は竹嶼と観音島その他の周辺岩礁のみでした。 1880年 内務省作成『大日本国全図』、1881年『大日本府県分割図』には竹島、松島の記載なし。
1877年 帝国陸軍参謀局『大日本国全図』にも竹島、松島の記載なし
海軍水路部が編纂した水路誌を見ると、
1883年の『寰瀛水路誌』では「朝鮮東岸及諸島」の項に「リアンコールト列岩」として記載
1886年の『寰瀛水路誌』「朝鮮東岸及諸島」の項に「リアンコールト列岩」
1894年『朝鮮水路誌』第四編 朝鮮東岸の項に「リアンコールト列岩」
1897年『日本水路誌』には「リアンコールト列岩」(竹島)の記載なし
1899年『朝鮮水路誌』第二版第四編 朝鮮東岸の項に「リアンコールト列岩」
この海軍水路部の『日本水路誌』『朝鮮水路誌」において、
竹島を朝鮮領土と判断したがゆえに、『日本水路誌』には含めず『朝鮮水路誌』に含めて編纂した責任者が、
海軍水路部長の肝付兼行であった。『朝鮮水路誌』の序文は「水路部長 海軍大佐 肝付兼行」名で記されている。
ご存じのように、中井養三郎に対し「ヤンコ島の所属については確固たる資料がない」と請け負ったのが肝付兼行であった。
ヤンコ島の位置は隠岐より85浬、鬱陵島より55浬であり、朝鮮の方が30浬も近いのであるが、
肝付は「出雲の多古鼻からは108浬、朝鮮のルツドネル岬からは118浬で、日本の方が10浬も近い」などとこじつけ、
日本領土に編入するがよいと主張した。
当時は日露戦争中で、ウラジオ艦隊が朝鮮海峡に出現し日本の輸送船を次々と沈め、緊張が高まっていた。
海軍は日本海での決戦を見越して、朝鮮東南部の沿岸、島に望楼を建て海底電信線で結ぶ作業を急ピッチで進めていた最中であった。
すでに鬱陵島には望楼の建設に着手していた。そのように緊迫した事情をよく承知していた肝付が中井の申し入れを奇貨として、竹島にも望楼を建設し海底電信線をつなぐべく、
朝鮮領であることは承知の上でそれを伏せ、無主地先占の体裁を取って日本領土に編入するよう誘導したものである。 >1950年代に日本が独島の領有権を主張した時点でも、韓国外務部(省に相当)は独島が
>鬱陵島の行政区域に編入されたという公的な記録を入手することに失敗した。
じゃあ、どういう根拠があって竹島の領有権を主張したんだ? 竹島って、日比谷公園くらいの広さらしいぞ。
日比谷公園みたいな都内の一等地にあるわけではないし、絶海の孤島だし、もう上げちゃった方がよくね? >>320
韓国人はリアンクール島を
甕島(トク/ドクソム)と呼んでたが
「甕」の文字が難しいこともあって、
同音の「独島」で代替されるようになった
「独島」というのが韓国語で「離れ小島」の意味の普通名詞として一般利用されてることにも合致してるため自然な流れだろう >>417
当時国際法では通告義務なんてないから何も問題がない
>>421
日本は国際司法裁判所の義務的管轄権受諾国だから、
もし国際裁判で争いたいなら、
中国も受諾国になればすぐにでも提訴できるし、
ならなくても日本に裁判を打診したら日本は応じると思うよ
ちなみに韓国は国際海洋裁判所の義務的管轄からも離脱して逃げ回ってる >>422
他国による不当な侵略行為を追認する選択は主権国家として取り得ない選択だから
韓国人はそんな甘い見込みは無駄だから持たない方がいい >>346
竹島が正当に韓国領として帰属した歴史がない(「独島を鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録は無い」 >>261)以上は、
竹島が日本固有の領土であることは明らかで、
ひたすら日本側の認識のみを問題にするのは的外れ
竹島の位置形状を確実に把握した確かな歴史は先に日本側にあり、
少なくとも1905年に島根県に編入した歴然たる歴史があるのだから >>409
俺も石島は鬱陵島周りの岩の総称だと思う
ゲリービーバーズのサイトで竹島ではないけど
複数の岩を石島と総称してた朝鮮の地図があったはず IDコロコロ必死よなあwwwwホロンにすらなれないカスなのに >>441
勅令41号で鬱陵島(三文字)を鬱島(二文字)に改称した際に、
鼠項島[観音島]を石島に改称した>391
日本の古代にもある
大倭<やまと>を一文字の倭にして<やまと>と読ませた
しかし鬱陵島は鬱島とは呼ばれることなく鬱陵島のままだった
こちらは同じ漢字使ってるから取り違えは起きなかったが、
石島の場合は何の説明もなしに勝手に発音だけ使って別漢字にしてしまってるから、
後になってそれがどの島のことか分からなくなった
何年かしたら石島は架空の島や、郡内の岩礁の総称になったんだと思う >>445
自分も石島は観音島だと思います。
ただ、一部の在日韓国人から、鼠項島はソコウトウではなくSomokuSomu(ソモクソム)と
発音していたらしいという指摘がありますが、どう思いますか?
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/8kunitaka/warshipmatsue-1908/warshipmatsue.pdf
個人的にはソコウトウとソモクソムが混用されていたという可能性はあるかなと思いますが。 >>446
そもそも「発音」で表記文字が変わるってのが一般的なのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています