朝鮮半島の水車の歴史

1342 恭愍王11年 白文宝の上奏「江南の人民が農事に水旱の心配をしないのは水車の働きによる。(以下略)」→ 黙殺

1429 世宗11年12月3日 日本の水車が凄いと報告。
1430 世宗12年9月27日 水車を造ろうとする。木を曲げる技術がなく失敗。
1431 世宗13年5月17日 中国も日本も水車の利を得ているが我が国(朝鮮)にはそれがない。
1431 世宗13年11月18日 日本と中国の水車の研究の記述がちらほら。
1431 世宗13年12月25日 水車導入を試みる。木を曲げる技術がなく失敗。
1451 文宗元年11月18日 車の導入に失敗。
1488 成宗19年6月24年 水車導入の試みがあります(そして音沙汰無し失敗。)
1502 燕山君8年3月4日 水車導入の試みが書かれています(そして音沙汰無し失敗。)
1546 明宗元年2月1日 水車導入の試みが書かれています。琉球(沖縄)と中国で教わった福建式の水車の様です。
ここから100年間水車の記述が有りません。製作技術・能力なく消滅したようです。
1811 純祖11年3月30日 ここの記述でも水車が居るのか?と書かれており全く普及していない事が書かれている。
後は記述がない。水車の製作能力・技術力がなく作れませんでした。
あった・・・導入されていない記録が
1881 朝鮮から日本に派遣された「紳士遊覧団」が「日東壮遊歌」とほぼ同じ水車を視察している記録あり
”1908 日本による灌水車の導入”この時、初めて朝鮮半島に水車が存在した。

20世紀になり日本によってようやく朝鮮に水車が普及します。

朝鮮通信使 - Wikipedia