>>173
>天安門大虐殺では、およそ一万人の中国人学生が
>人民解放軍の発砲と戦車により亡くなった。
>こっちは無かったことにしてるのが中国のバカなところだ。

まだそんなデマを信じている情弱バカウヨがいるのか。
低学歴で頭悪そう。
>>173は数字も事実関係も全部デタラメ。
こういうウリナラ・ファンタジーを盲信する朝鮮系のバカウヨの存在が、日本の足を引っ張って日本を朝鮮化しようとしているんだろうね。


六四天安門事件のトリビア

・戒厳軍が北京市民を轢き殺したのは、戦車では無く装甲車(63/80式装甲兵員輸送車)。
・戒厳軍が最終的に発砲して武力鎮圧した相手は、広場の学生達による民主化運動に便乗して周辺の北京市街地で暴徒化して略奪・放火を繰り返していた北京市民。
・戒厳軍の装甲車が民衆を轢き殺したのは天安門広場の中では無く、近隣の路上(天安門から西5kmの地下鉄の木セイ地駅付近)。
・天安門前広場では学生達は非暴力に徹し、戒厳軍と学生達の武力衝突は寸前で回避された。
・従って広場では死傷者は出ていない。(下段にて詳述)

・戒厳軍の武力地威圧により殺された人数は
 中国共産党発表 319人(市民にリンチされた戒厳軍兵士も含む)
 中国赤十字 約2,600人
 ソ連共産党政治局調べ 約3,000人
 米外交文書 約 10,000人 
と諸説有り、確定していない。
・天安門前広場に隣接する北京市街地では、野次馬だった北京市民が各所で店舗略奪・放火・(戒厳軍の)車両占拠・車両破壊・街路封鎖・戒厳軍兵士へのリンチ(殺害されたケースも)を繰り返していた。(それらを撮影した証拠映像・証拠写真は多数存在する)
・3名の戒厳軍兵士が市民に虐殺され、遺体は橋の欄干から吊り下げられた。(その写真も報道済み。)
・戒厳軍は武力鎮圧を始める6月4日未明までは丸腰かつ無抵抗で警備しており、市民の暴力や罵声にひたすら耐え続けていた。(日本大使館の駐在武官による目撃談など、証言多数)
・有名な「タンクマン(無名の反逆者)」は事件翌日の6月5日に戒厳軍の戦車隊が撤収する際の出来事。この男性は群衆に引き戻されて生還した。(殺されていない。)

・王丹・柴玲・ウアルカイシなどの主要な学生リーダー達は6月3日深夜に戒厳軍が広場に近付くや否や全員広場から逃亡し、CIAの助力で海外に亡命した。
・6月4日未明、劉暁波(2010年にノーベル平和賞を受賞)や侯徳健(台湾のシンガー・ソングライター)らは、逃亡した学生リーダー達の代理の代表として最終局面で戒厳部隊と交渉し、
 広場に残っていた学生らを自主的に退去させたので、広場での戒厳軍との武力衝突は回避され、虐殺などは一切起きなかったと証言している。
・その様子はその時その場に最後まで残っていた十数名の西側ジャーナリストにより一部始終が目撃され撮影され、複数の証言と証拠映像(写真とビデオ)が残されている。
・しかし、その当時現場(広場)にいなかった(*)西側外交団や西側マスコミの憶測記事や、広場から逃亡した(元)学生リーダー達の憶測証言により
「天安門前広場で学生達が戒厳軍から発砲され、戦車に轢き殺され、大量虐殺された」というデマ記事が拡散された。
 (*)広場から数キロ離れた北京市街にある北京飯店(←ホテル)等を情報収集の本拠地にしていた。
・事件発生直後から数年後までに、ほぼ全てのメディアで訂正記事が報道されたにもかかわらず、現在でもインターネットを中心にデマが巷に流布されている。)