【超時空太閤】秀吉「晩年」の意外な新説、朝鮮出兵は欧州対策?[01/03] [Ikh★]
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日常でもビジネスでも何が起こるか分からない時代。こうした時代を乗り越える唯一の手段が「歴史」だ。時代も登場人物も違えば、まったく同じ歴史をたどることはない。しかし、似たことはこれまで何度も起こっているのである。「想定外」という言葉は、歴史の不勉強による想像力の欠如から発せられる。それならば歴史に学ばない手はない。本稿では、会話形式で歴史を学ぶ。戦国の世が終わり平和が訪れるかと思われたが、スペインとポルトガルを中心に欧米列強が日本に迫っていた――。
晩年の秀吉は実は狂っていなかった?
本の虫課長 前回お話した通り、秀吉はついに天下統一を果たしました。しかし、出陣してくれた武将たちへ与える土地が不足します。領土拡大のために明を支配しようと考え、朝鮮へ案内役を依頼しましたが、朝鮮はこれを拒否。そのために朝鮮へ出兵した――と、思いますか?
渡辺フミオ はい。天下を取った秀吉はそのおごりから、朝鮮出兵を企てたんですよね。高校生のときに予備校でそう習いましたが……。
本の虫課長 従来の説はそうです。ただ、歴史研究というのは日々、新たな発見が生まれています。例えば、歴史研究者の平川新さん(東北大学名誉教授・平川新氏インタビュー)は、「単に領土拡大が目的であれば、なぜ隣接する朝鮮への侵攻を初めから考えなかったのか? なぜ明や天竺なのか?」と素朴な疑問を持ち、数多くの史料をひもときました。
泉岡マリ それこそ秀吉の誇大妄想では? 晩年の秀吉は狂ってしまったとか、よく本に書いてあります。
本の虫課長 秀吉の誇大妄想説は以前からよくいわれてはいますよね。その方が物語としては確かに面白い。ただ歴史研究者というのは、何の証拠もないのにそのような結論を出すことはありません。丁寧に史料を読み解いて事実を導き出します。現存する史料をひもといていった結果、秀吉の「征明構想」は、スペインやポルトガルへ対抗するためであったという説が増えてきているのです。
渡辺フミオ え! そうなのですか? 秀吉は世界領土分割構想を知っていたのですか?
※続きは元ソースで御覧ください
ダイヤモンドオンライン 2021.1.3 4:55
https://diamond.jp/articles/-/257908 >>433
本能寺の変の後の展開は当然念頭にあっただろうね
滝川一益が清洲会議に参加できなかったところからの転落ぶりは皆まだ記憶に新しいだろう 日本みたいな小国が大国中国を征服できるわけ無いとよく言うけど中国の歴史はは少数の遊牧民族に征服されたり征服し返したりの繰り返しなんだなあ。日本が征服してもおかしくはない 陸軍は当時世界最強の可能性あるけど海軍は貧弱だから、大陸周りで陸からフィリピン攻めようとしたんじゃね? >>423
そうした陶工の子孫で陶工やってる人が、韓国人から、積年の垢を落として韓国に帰ってきませんかと持ちかけられたけど、日本で生きてきたことを垢のようには思っていない的なことを言って断ったらしいな 信長が本能寺で殺されず生きてあのまま天下統一してたら
朝鮮出兵はやってたのだろうか。 伊達政宗みたいにガレオン船を建造して
さらに大船団で琉球台湾を占領してからマニラを攻めれば良かったな >>442
秀吉と同じように明を攻めようと思ったのなら
朝鮮に出兵した可能性は高そう。 >>441
ていうか、二つの役の後の講話交渉で帰還をさせようとしたら、帰りたがらなかったっていう >>10
山田長政はべつに東南アジアを占領するために行ったんじゃないんじゃね? >>194
家康だろうね。
この頃、秀吉の親族が次々と死んでいるし、
更に関ヶ原に向け前田利家ら邪魔者が消えていった。 >>393
あの頃は日本と明の人口にそんなに差は
なかったという話もある。 それから、何年もしないで、ヌルハチ・ホンタイジ親子の10万人の軍勢に破れてしまったんでしょ。 >>450
それで、大量の明国人が日本へ亡命してきて
彼等の面倒を見てたのが水戸徳川家。
いち早くラーメンを食べてたのも、彼等独自の尊王思想(中華思想に近い)を持ってたのもそのせい。 >>448
利家はさすがに寿命だと思うの
暗殺を警戒するはずの近侍が真っ先に内府へ寝返ってるから太閤暗殺説は否定できないが 秀吉の外征は膨張した陸軍と戦争経済のはけ口が最大要因で、信長の構想の実現
信長自身は南蛮人に好意的だったから、欧州対策なんて現代人の後知恵での妄想
日本人はアヘン戦争で列強に恐怖した後、自分の世界観の記憶を改ざんしている
なお朝鮮は征服してもペイしない不安定な貧窮国でうまみがなく、そのくせ無駄に
長大だから明国に拡大していくための根拠地として利用不可だった。だから秀吉没後
は外征政策が放棄され、豊臣政権の責任問題に発展。その16世紀版動議が、関ヶ原
とまれ欧米列強なんて政治的実体は、当時の世界にはどこにも無かったことに注目な
日本どころか中国やインドでも、欧州人など海の果てからやってきたただの冒険商人
単に新大陸や南洋で、鉄器もろくに持たない原住民相手に無双してたというだけの話
ただ日本にとっては、西洋人の宗教がものすごく目障りだったというだけ >>442
当時のイエズス会が日本から本国に向けた報告文書に「信長は日本を平定したのちは中国大陸に進出するつもりだ」
という意味の一文があるから秀吉はこれを真似た可能性がある。
ただ、逆にいうとこれしか信長の海外進出について書かれたものは無いので本当かどうかわからない。
当時はまだ九州や東北はほぼ手付かずだったし、具体的な計画はもちろん無かった。
個人的には信長の場合、事前調査で朝鮮に何もないと分かったら東南アジアの貿易拠点構築に力を入れたんじゃないかと勝手に妄想してる。 国内平定後に不要になった戦力を海外に向けただけでしょ >>393
清なんて、もっと少ない人口で支那を占領したから。 >>393
■17世紀初頭、日本列島は3000万人の人口…中国の人口は6000万人…朝鮮半島の人口は300万人■
★李氏朝鮮以前の半島の歴史は正確にはなにも全くわかっていない
しかし李氏朝鮮以前の半島の歴史は正確にはなにも全くわかっていないのだ、と金完燮氏は
言うのである。韓国人は、だから自らの民族のアイデンティティに大きな不安を抱いているのである
通説としては、676年に新羅が半島を統一したというような話になっているが、そういう
歴史的展開はぜんぶ現在の大陸東北部で起こった出来事であって、半島の歴史ではない、と
いうのである。
古代史に関する彼の大胆な「仮説」は、27日にあらためて聴くことになっている。
ともかく、半島における高句麗、新羅、百済の三韓の葛藤劇もことごとく歴史的実在が疑わしい。
要するに1392年より以前の半島の歴史で確実なことは何もわからないので、韓国人の歴史への
自信喪失は根が深いのだという話である。
17世紀初頭、日本列島には3000万人の人口があった。同じ時期、あの広大な中国の人口
はわずか6000万人であった。(確かに、中国の人口が一億を越えたのは17世紀後半の清王
朝の成立より後のことである。)朝鮮半島の人口は、当時300万人程度であった。
朝鮮人からみて日本列島はすでに当時から人口の多い「大陸」であり、一つの大きな「文明」
であった。
今のように島国の日本というイメージではなかった。朝鮮半島は二つの「大陸」にはさまれて
いるという自己認識であった、と。 鉄砲やら大砲やらがどこから来ているか
分かっとるのにそいつらがなぜ日本を
奪いに来ない思うのか。コレガワカラナイ。 >>462
だよねえ
呂宋(フィリピン)あたりの惨状も知ってるだろうし
マゼランのセブ島到着から44年後の1565年、
征服者(コンキスタドール)ミゲル・ロペス・デ・レガスピは、
500人の武装した兵士と聖アウグスチノ修道会およびフランシスコ会からの修道士を連れて
マリアナ諸島およびビサヤ諸島の各島を経てセブ島に到着、スペイン王の王冠のもと島の支配を進めると宣言した。
レガスピたちはラジャ・フマボン王の息子、ラジャ・トゥパス王の砦を砲撃しスグボの町を破壊した。 明朝皇帝に親書を送るも握りつぶされて、秀吉は
欧州勢力拡張の脅威に鈍感な志那人に呆れかえった。
共同戦線を張ろうとの提案を頭から拒否されているらしい。
秀吉の失策は朝鮮経由での侵攻開始であり、檄文を表示し
いきなり明皇帝の住まう首都を攻略すべきであった。 むしろ欧州人にそそのかされて明朝鮮へ侵攻したっていいう説をみたよな
日本が明を征服する力がないのを見越して
アジアが混乱すれば侵略しやすくなるとかなんとか あの時のスペインが明王朝侵攻なんて無理
妄想するにしてももっとリアリティのある話にしないと誰も相手しない 明って案外へなちょこなんだな。
こりゃ永楽帝とティムールがガチンコ勝負やったら
永楽帝がメッタメタのギッタギタにされてただろうなw 失業対策と大名の勢力を削ぐ。
領土増えたらラッキー。
以上終わり。 NHKスペシャルで大坂の陣で秀吉側カトリック、家康側プロテスタントが支援してた言うてたやん。
近代まで中国市場は市場、商品とも他国が及ばない魅力的なシジョウなんだからキリスト陣営が邪魔するのは第二次大戦のアメリカと変わらん >>214
>>223
家康は、東京湾の埋め立て工事の労働者に使ってる。平和利用 >>13
進出を勝手に制圧って脳内変換する馬鹿がおるwww
キチガイって本当に人の話を聞かないよな 朝鮮から撤退するのもスゲェ大変だったとかいう…
割と悲惨な事になってもおかしくなかった 韓国の秀吉好きは異常
強い者には強いものに媚び
なりすまして
虐殺
奴ららしいよ スペイン領だったフィリピンにも何回か従属勧告の書状を送っている >>471
江戸城工事にも日本中から浪人呼んでるね。
吉宗がやった大規模な河川工事も有名な話。 朝鮮出兵によって豊臣政権が瓦解したという事実
秀吉の最大の失敗だったね >>478
出兵で豊臣政権内部で対立が起きてしまったのよ。
武断派と文治派の対立。それを家康に利用されてしまった。 いまヤンマガのセンゴクでやってんな
貿易のためとかなんとか 山岡荘八が家康書いてる頃には言われてたこと
あれだけ気前よく褒美をやれば与える地がなくなるってな 秀吉には譜代の家臣がいないからね。
だから天下人になった時の豊臣政権の実像は外様の連合政権だった。これを打破するには子飼いの土地を増やすしか無いが、1人を贔屓すれば軋轢が生まれる。かといって、外様を敵に回す力は秀吉には無かった。
結局、土地を外国に求めるしか無かったがそこは極寒の朝鮮… >>479
徳川幕府にも対立があったじゃん
家康が大久保一派を盛大に粛清したように政争はずっとあったが
トップがしっかり存在してて権力をしっかり握ってるから諸大名が動けない
豊臣政権販売秀吉が死んだ後権力が有力大名に譲られたのが一番 秀吉は死ぬ前に次期後継者に徳川家康を指名したらしいが
朝鮮出兵で生じた武断派と文治派の対立で武断派が家康、文治派が秀頼についた挙句文治派は秀頼を擁する豊臣重臣衆から捨てられて敗北、
武断派、つまり徳川派は徳川幕府成立と共に豊臣を見捨てた。 鉄が必要だから朝鮮へ攻め行ったと聞いてたが
それの仮想敵国が欧州だったのかな >文治派が秀頼についた挙句
三成たちは、秀頼に世襲させることしか正統性を主張できないからな
家康には縁がないし、自ら天下取れる武力もないし
三成は平時には能吏だったと思うが、乱世では滅ぶしかないだろう >>442
朝鮮出兵も家康関東移封も、信長の計画です。 >>35
信長がいちばん長く激しく戦ったのは一向一揆だ。
だから、キリスト教を入れて信者を減らせばいいと
考えた。映画ドラマではその辺を触れないので知ら
れてないだけ。 >>441
半島記者「ご苦労なさったんでしょうね」
陶工「バカ言え!俺は日本人だ!」 朝鮮出兵はむしろ良く撤退出来たなって戦争。
明・朝鮮がもう少し強かったら大損害被ってもおかしくないところだった。 >>421
末期になったのは秀吉のせいじゃね?
チャイナは皇帝が負けると権威が失墜してしまうから。
満洲人も明朝の内部分裂につけ入った訳だし。 天下統一で力を付けたキリシタン大名を削るために出兵させたって(NHK説) >>491
明の朝鮮出兵の戦費は対満州戦費の数分の一だからからそれはない
そもそも滅亡したのは万暦帝長年の浪費と満州戦費による重税が招いた農民の反乱 出兵 稲作 仏教 漢字 製鉄 建築 剣道 柔道 相撲 茶道 折り紙 桜
日本は古来より先進技術と文化を朝鮮半島から学んできた。
いわば日本は弟、中国は父、朝鮮は兄だ、喝っ!
日本女性やヤング、団塊と無党派,、宗教に珍走まで
この真実の歴史を絶賛直視していますよ。
つまり日本人は、兄朝鮮を慕って、慕って、慕って、慕って、慕って、
もうさ、絶賛シンデレラフィットしていますよ。
弟の分際の日本が、兄朝鮮に出兵するなんて
同じ日本人として、本当に恥ずかしい。
本来ならば、弟の日本が兄朝鮮に出兵されるべきだろ。
長幼の序を知らんのか、喝っ! >>77 国防のための意欲
「戦争やめて帰ります」と話し合いも済んで
去る敵の背後を攻撃なんて国防とは真逆と
思うんだが?もっとも、読まれてて返り討ちに
会うなんて無様の一言だけど。 今年が、昭和20年の終戦の年だと思えば良いのね。
焼け野原からの復活を目指そう! 堺の商人達が朝鮮は益なきところと反対したというね 海外進出ならば南のほうに誘導したかったが
フィリピンを攻めさせたくない小西などのキリスト派にうまく誘導されて朝鮮を攻めることになったよね 小西行長自身は反出兵派で、明を攻めるのは無謀と急いで和睦を行おうとしてた。
でも加藤清正が強硬に秀吉の主張を通そうとして交渉が座礁に乗り上げかけたので、仕方なく秀吉が降伏したという書状を書く羽目に… 秀吉しななければ大規模な第三次攻勢かける予定だったらしいな
ただ半島は不毛の地すぎて旨味がなかった
稲作も最南部でしかできないし
後付だけど沿岸沿いの港周辺だけおさえて明に直接侵攻できなかったのかなとは思う 朝鮮水軍の存在が地味に厄介だったからねぇ。
朝鮮水軍の強さは戦闘力じゃなくて朝鮮沿岸部の潮流を熟知してる点だって話がある。海の上では潮の流れはかなり重要な要素だった上、すぐに把握できるものでもないし。
港を奪取したとしても、要塞化出来なければ何万(当時の記述では明軍数十万)もの軍勢に包囲されて潰されてしまうし。 あの時にフィリピンへ出兵して占領しておけば良かった フィリピンには出せなかったろう。
笠谷氏の書物によると、当時の日本の航法は地乗り航法、つまり周りの景色の重なり具合から自分の位置を把握していく「山あて」と呼ばれる初歩的航法だった。
だから朝鮮出兵で明攻めと言いながら朝鮮の陸上を制圧せねばならなかった(直接、明に航行出来なかった)
フィリピンは余りに遠過ぎる。貿易船なら兎も角、軍事作戦をするには全く無謀な距離と言わざるを得ない。
もし西洋諸国がこれを妨害しようとすれば、日本軍は上陸はおろか抵抗すら出来ず全滅してたろう。 新説も何も普通に考えたらそうだし、以前から言われてたろ
曲がりなりにも全国統一を果たした人物がそんなに愚かなわけねえだろ >>482
外様を敵に回す力なんて家康にも無かったよ。
運良く敵対する外様の力をまとめて削ぐ機会が転がってきたから長期政権になっただけ。 家康にはあった。ところが、秀吉には何故かその力が無かった。
あったけど使わなかったのか、機会を逸していたのかはわからんのだが… 家康にあった程度の話なら秀吉にも有るに決まってるだろ。
どこの外様が正面衝突で豊臣に勝てるんだよ。
外征が目的なら外様の力を削らずに外征に参加させるのが効率的。 家康がどう考えていたかは不明だけど、家康は戦争覚悟で圧力を掛けて外様を叩いた。
秀吉は何故かそれをしなかった。しなかった上に、外征で自分たちの子飼いを苦しめてしまった。 >>509
家康はたまたま豊臣家の名代として上杉征討軍を率いてたから良かっただけ
そうでないと家康だけじゃとても潰せない 秀吉が豊臣名代以下だったとは思えない。
1600年では既に家康は「天下様」と呼ばれていたけど、秀吉がこの当時の家康よりも軟弱だったとは思えん。
家康が上杉討伐を決定すると、「反徳川派(石田三成ら)が挙兵する」という意見があったが家康は強行。
江戸に行くまでにも「三成に不穏な動きあり」「大坂への帰還を望む」という報告がきたが気にも留めなかった。
つまり家康は戦争を恐れては居なかった。
秀吉は何故か外様を潰さず、その上子飼いを外征の地に放り込んだ。この外征で土地を取れると思ったんだろうが…
裏目を引いたって訳よ。 別に新説じゃないじゃん
グローバル視点ではその通り >>513
家康は秀頼が独り立ちする前に潰したかった
戦国時代直後だから
家に仕えるという概念はまだなかった
秀吉に仕えていたんで、戦にでない秀頼に従う武将などいないよ
リーダーシップの取れない社長についていけないのと同じ 長期遠征を可能にする為には西洋技術の導入が必要不可欠だが、
その西洋にもケンカ売ってるというストロングスタイル 普通にボケて誇大妄想に走ったってのが正解なんと違うか?仮にボケて無ければ自分の死後を考えて徳川を封じ込める手段遺して逝くだろ >>517
厄介なキリシタン大名を急先鋒にして勢力削いだらしいな
秀吉はほんま恐ろしいお方やで >>517
少なくとも前田家には鼻で笑われとるからなぁ朝鮮出兵… 子供死んだからそれでおかしくなったって可能性はある
事実秀頼産まれたら戦争の指揮がおざなりやし >>522
信玄、家康「10代の時に出来た子供は信用できんね」 キリシタン大名削ったっていうけどこの戦争の主力って毛利・加藤・宇喜多じゃろ?
割と関係無い連中の被害が凄いんじゃ。 >>525
加藤清正は法華宗
立場上、切支丹と同じくらいヤバイ奴だと思われていたのでは? そうだとすると、明・朝鮮と交渉してたのが小西行長と加藤清正なので、
秀吉は一番ヤバい奴に交渉させてたってことに… >>527
それが失敗の原因とも考えられる。
秀吉は、キリシタン大名を九州に集め、征服に成功すれば朝鮮に転封し
国内の日本人キリシタンは撲滅しようとしていたそうだ。
宣教師もキリシタン大名たちも秀吉の狙いに気付いていた。
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1477577591/760 >>525
先鋒を任されたのが加藤と小西で小西はキリシタン
でもまあそのへんは俗説でしかないわな
キリシタン大名を明確にそれとして利用したのが記録に残ってるのは信長くらい
石山本願寺攻めの最前線にキリシタン大名をぶつけてて宣教師が危機感持ってた >>522
秀吉が死んだだけで
戦争自体は負けてないぞ
というか、秀吉の構想上総大将徳川家康の第三次唐入り以降が本番
二度の対日惨敗で明は瀕死だったから家康が攻めてたら終わってただろ >>505
フィリピンの臨時総督だったビベロてスペイン人が
少数の日本人がマニラを陥落させる直前まで追い込んだ事が過去に3度ありて内容の
記録に残してるから侵略するなら倭寇だけでもやれたんじゃね >>501
朝鮮出兵の際の陣立て書に
加藤清正と小西はくじ引きして先手を決めろてわざわざ書いてるあたり
普通に先手争いをしてたんだろうし小西くんは普通にやる気十分じゃね
明軍に籠城戦を強いられた際に疲弊しまくって戦意喪失しただけだよ >>530
割とジリ貧で敗戦気配濃厚だった。
余り苦戦してる印象が無いのは現地の諸将が苦戦してると秀吉の逆鱗に触れるからって都合の悪い情報を隠したから
だから「死者多数」みたいなふわっとした話で誤魔化されとる。
しかもこれ朝鮮に損害は与えたけど明は軽症やからな。
家康は結構苦労して撤退を成功させた。 秀吉は中国へ行く途中の朝鮮とかいうどうでもいい通り道に唐辛子を置いてってくれた恩人だろ?ウンコリアン >>532
小西行長はあんまり朝鮮出兵乗り気じゃ無かったっぽい
縁戚にもなってた宗氏が大反対してたのでやりたくなかったらしい
一応、やるとなったら仕事はしたけど和睦を焦って日本降伏という ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています