一四〜一五歳の時、お使いの途中、道端で二人の男に連行されました。
 「行き先は日本軍が中国に作った“慰安所”でした。そこが何をするところか、分かりませんでした。
それほど幼い一〇代前半の娘たちが集められていました」と、イさん。
少女たちは一日に四〇〜五〇人もの日本兵と性交渉を強いられました。耐えきれず自ら命を絶った少女は多数。
拒んだ者は、皆の前で殺されました。遺体は通りに捨てられ、野良犬の餌食となり、骨すら残りませんでした。
 逃亡を図ったイさんも、激しく殴られた上、日本刀で斬られるなどの制裁を受けました。
いまも腕や足に傷跡が残り、耳や目もこの時の後遺症で不自由です。
「私たちが居たのは本当に“慰安”の場だったのでしょうか? そうではありません。“死刑場”です」。

涙が出た・・・