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⬛2015.11.29
韓国人「1965年の日本からの賠償金を現在の価値に換算してみよう」
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/47036863.html
1960年代の8億ドルは今のお金でいくらだろうか


⬛2015.12.12
韓国人「1920年代生まれの祖父が経験した日帝時代の話をしよう」
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/47181125.html
俺のおじいさんは、黄海道出身で農家の家に生まれた。
田舎で育ったため、国家観というのものがなかった。
もちろん、政府が日本だということは知っていて日章旗もよく見たが、そのまま朝鮮の領土だと思って暮らしていたらしい。
それでも、学校では当たり前のように日本語を使ったという。
14〜15歳の頃になると、近所のお兄さんたちは軍に入隊する人が多かった。
2〜3人ずつ一緒に入隊するケースが多かったが、無事に帰ってくるようにと、入隊の前日には町で宴会を開いてくれたそうだ。
おじいさんの父親は、博打が好きで、家の雰囲気があまり良くない状態で、おじいさんは17歳になる年に、三菱の戦闘機工場に見習い工として務めることになり家を離れた。
見習い工だが、給料はかなりもらえたらしい。
いつだったか、母親が病気をした時、その話を聞いた工場長か、作業班長の日本人が薬代として1ウォン50銭をくれて感動したという。
そして、おじいさんは朝鮮が解放されるまで三菱の工場で働いたという。
解放されてからは、故郷の黄海道に戻ってきて、再びそこで暮らすことになったが、戦線に出た近所のお兄さんたちの中で帰ってきた人はあまりいなかった。
数年後、6.25戦争が起こる直前に、おじいさんは北韓空軍への入隊を誘われた(戦闘機を扱う技術があったから)。
ところが、おじいさんは共産党が嫌いなので拒絶し、そのまま南下してしまった。
戦争が始まると、国軍歩兵に入隊して戦っていたが、銃弾で2ヶ所を撃たれ下士となり除隊する。
今でも共産主義者が大嫌いだ。
1956年から我が家は、ソウルで暮らしている。