【韓国】 「宝城緑茶」世界に知らせる茶園 中国や日本より茶を好んで飲んでいた…私たちの文化取り戻さなければ[04/25] [LingLing★]
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名品「緑茶」として世界人の茶の味覚をとらえた「宝香茶園(ポヒャンタウォン)」
https://cdn.nongupin.co.kr/news/photo/202104/92934_52156_5018.jpg
緑茶の本場「宝城緑茶(ポソン・ノクチャ)」率いるチェ・ヨンギ名人
よく緑茶の地元と言えば、「宝城(ポソン)」を思い浮かべるはずだ。
青々とした緑の葉が茶畑を覆う今頃の春になれば、観光客が集まり賑わう。宝城郡は全国緑茶生産の40%を占めるほどの規模を備えており、世界のどこに出しても劣らない品質を誇る。
特に、3代にわたって宝城緑茶産業を率いている宝香茶園のチェ・ヨンギ代表は宝城緑茶の「核心」として通じる。
■3代にわたる農夫、緑茶は「運命」
「いつごろからだと思いますか。ただ茶畑で育って、自然に農夫になりました」。
「宝香茶園」は、尊い香りが漂う農場という意味だ。1937年、チェ・ヨンギ名人の曽祖父と祖父が宝城の野山を開墾して始まり、既に80年が過ぎた。幼い頃は茶畑を遊び場にし、学校に通いながら両親の仕事を手伝った。(省略…)
■茶、好んでいた私たちの文化を取り戻さなければ
「私たち民族は、茶を全ての植物の王、百草の王と呼んでいました。チャレ(茶禮)という言葉は、旧正月と秋夕の時、ご先祖様に茶を丹念にいれて祭祀を行う日でした。イルサンタバンサ(日常茶飯事)という言葉は、解釈すると、茶を飲んだりご飯を食べたりするように一般的なことという意味です。私たちは茶をご飯と同じく楽しむ民族でした。」
名人は、私たち民族が中国や日本より茶を好んで飲んでいたことを強調した。高句麗古墳で発見された茶に関連のある遺物から考えてみると、三国時代から先祖は茶を栽培して飲む文化があった。
しかし、日帝強占期を経て、私たちの茶文化が消えた。祭祀膳の茶は酒で、食後はコーヒーを飲むのが当然とされた。私たちの茶がますます忘れられる状況で、チェ・ヨンギ名人は国内茶農家では唯一で、私たちの伝統茶であるティウム茶を保存するため、孤軍奮闘している。ティウム茶は、簡単に説明すると微生物発酵茶だ。周辺の微生物を茶に発酵させて作る。
まだ基礎研究段階だが、ティウム茶に老化を抑制する抗酸化効果が、他の茶に比べて非常に優れていることが分かった。
体系的な研究を通じて国際学術誌にティウム茶の効能を立証するため、いくつかの大学と研究中だ。 しかし、まだ韓国茶産業の成長は遅れている。
ソース 農業人新聞(韓国語)
https://www.nongupin.co.kr/news/articleView.html?idxno=92934 ■世界で認められる「宝香茶園」
年間2万人の外国人が宝香茶園を求めて、直接茶を栽培して生産する体験学習をする。韓国と韓国茶の優秀性も一緒に教えて、名人は文化広報大使の役割も務める。
2015年5月、原発本契約締結のため極秘裏に韓国を訪問したアラブエミレーツの国賓一行も宝香茶園を訪れた。まず、宝香茶園に立ち寄った一行に積極的な勧めがあった。アラブエミレーツは一人当たり年2800グラム(韓国は60グラム)の茶を消費するほど茶を愛する。初めて目にする茶畑と体験学習に一行は喜んで積極的に参加し、契約もスムーズに行われた。宝香茶園が国益に大きく寄与したわけだ。
茶に関して自負心の高い中国でも名人の名前は有名だ。22ヵ国が参加した広州国際茶博覧会に国内では唯一、挑戦状を突き出した。2,000万ウォン以上の私費をかけて6ヵ月間準備した結果、参加者の高い関心はもちろん、クム緑茶は博覧会の推薦商品に選定され、広州テレビニュースでも集中的に報道された。茶に関して一番名門の中国浙江大学でも3年の間、教授と学生が名人に講義を聞くために宝香茶園を訪問する。
■わたしたちの茶文化、世界に知らせる場
積極的な世界舞台への進出のために、米国や欧州、日本の認証だけでなく、国内初のハラール認証まで受けた。すでに、日本と茶輸出契約を交渉中であり、韓中日の最高級茶ギフトセットの製作も進行中だ。増え続ける需要に、手作業で行っていた工程も自動化して生産量を増やす計画だ。
2人の息子も自ら宝香茶園に合流して力になっている。長男のジュンヨン氏は法学科を卒業し、英語、日本語が堪能な海外販売と展示会を、次男のジュンソン氏は専攻のコンピューター工学を活用し、スマート農場管理の責任を担当している。
チェ名人の幅広い茶に関する知識に、子の若い感覚が加わり、新しいことを望む若い世代に人気が高い茶も開発された。茶畑でのファームウェディング、様々な年齢層や外国人を対象にした体験プログラム、子の意見を積極的に反映して作られた。
「韓国で唯一、5代目が引き継がれる農場です」と話す名人の顔に自負心が溢れている。多くの人がタソン(茶成)という号で呼んでくれるが、まだ成し遂げていなくて恥ずかしいという名人。世界を舞台に韓国茶の香りを広めて、茶を好んで飲んでいた私たち民族の茶文化を取り戻すのに、不断の努力をするのが名人の抱負だ。 宗主国さま!またキムチの時みたいに殺っちゃってください!w >しかし、日帝強占期を経て、私たちの茶文化が消えた。
出た日帝ガー
そして秀吉ガー 韓国はトウモロコシの髭じゃなかったか?アフリカの国らしいなと思っていたが <丶`∀´> 30年続いたら100年企業認定!
↓
<丶`∀´> 3代続いたから1000年の歴史認定! 朝鮮人がコーヒー飲み出したのってここ30年ほどだろ? >>21
それもあったっけw
なんか「パッコン」と
「お前が飲むんかい」を覚えてる <丶`Д´>茶も白飯もまともに食えるようになったのは40年ほどまえニダ 日本の源流は全部韓国
宗主国の韓国人は基本それを微笑ましく見ているが
あまりに倭猿の起源アピールの度が過ぎたら兄の国として正しい歴史を教えてあげなければならない 土人国にお茶文化なんかあったのかな
染料もない国だったのに 春だからか持病が出たのかな。未開土人集落は一年中かwww >日帝強占期を経て、私たちの茶文化が消えた
たかだか30年で消える文化w >>30
韓国って日帝が併合するまで旧石器時代でしょ。韓国はアフリカの黒人国家の中で最も落ちこぼれのゴミだよ パプアニューギニアより茶の消費量少ないだろおまエラ >>1
>1937年、チェ・ヨンギ名人の曽祖父と祖父が宝城の野山を開墾して始まり、既に80年が過ぎた。
>しかし、日帝強占期を経て、私たちの茶文化が消えた。
ちょっと何言ってるか分からないというのが素直な感想だ > 「宝香茶園」は、(略)、1937年、チェ・ヨンギ名人の曽祖父と祖父が宝城の野山を開墾して始まり、既に80年が過ぎた。
> しかし、日帝強占期を経て、私たちの茶文化が消えた。
記事中で矛盾するのヤメレw >しかし、日帝強占期を経て、私たちの茶文化が消えた。
おまえの国はそんなにポンポンと大切な文化が消えるのかよ
消えすぎだろ、数百年もじゃねえぞ、わずか35年だぞ
それぐらいで伝統が消えるのかよ、おまいら全員健忘症かよ また嘘吐いてるクソ食いキムチ猿
お前ら緑茶なんか飲んでなかっただろ、栽培もしてないお茶をどうやって手に入れてたんだよw >>36
チョンさんはお茶飲み禁止令出てたとか妄想してるんだろうかw >>1
> 日帝強占期を経て、私たちの茶文化が消えた。
> 1937年、チェ・ヨンギ名人の曽祖父と祖父が宝城の野山を開墾
これだけで矛盾を感じないんだろうか?? >>40
本当に息を吐くように嘘をつくサイコパス民族だなあ 何種類の飲み方があるの?
番茶でもほうじ茶でもいいけど >しかし、日帝強占期を経て、私たちの茶文化が消えた。
プラス100ポイント!! >名人は、私たち民族が中国や日本より茶を好んで飲んでいたことを強調した。
中国の茶文化がどれだけ深いかを全く知らんのだな。 >>40
いや、日常茶飯事が造語で茶飯事自体は仏教用語って書いてあるやん >>42
日帝統治時代とかけばどんな矛盾も無視されるからなw 日本統治時代に日本人が茶園作って
お茶を飲む文化が復活したんだろ >>48
>>2韓国で唯一、5代目が引き継がれる農場です
5代いるようだから、最初の人は茶じゃない農業をやってたってことでしょ ようわからんな
茶の起源ってどこだ?(´・ω・`) 茶は今の中国南方が起源の植物
ブリカスが大事な紅茶をわざわざインドで作らせてたのはイギリスの緯度じゃ寒すぎて育たないから
日本国内ですら新潟仙台がギリと言われてる
それなのに朝鮮半島で日常的に飲めるほど育つわけがない
中国と日本の茶文化の歴史に喧嘩売りまくりだな よーわからんが業界紙だよな?
専門紙でこの認識だから文化を育めないんだぞ
日本も中国もアメリカもロシアも関係なくチョウセンヒトモドキの性質の問題だぞ直視しろ >>42
茶畑に糞撒くの止めろって言われたんじゃね?(鼻ホジ 世界で日本茶や中国茶が取り上げられるたびに
劣等感が刺激されるんだろうなあ
本当に惨めなやつら >>57
ああ、そうやね。
ただ>>1は「日常茶飯事」ってはっきり書いてやがる。 記事の通りなら強占期に始まって強占期に消えてるな
日本人の指導が入ってるんじゃないの? 好んで飲んでいたというわりにちいせえ農園だな。その大きさでまかなえると思ってるんか? >>43
韓国併合が1910年〜1945年
1937年に開墾
まあ昔からあった茶文化が1910年〜1936年までに完全に消えて
1937年に復活させたっていうなら時系列はあうが・・・・
これでいくとわずか26年で茶文化が消えたことになるな いや、お茶が育つ気候じゃねーだろ
今でこそ品種改良されてるけどさ
昔の朝鮮半島でつくるのむり 1937年って韓国人が地球をビッグバンしてからの年だから 貧しい土地の貧しい文化の国にはとうもろこし茶がお似合いですよw >>1
>1937年、チェ・ヨンギ名人の曽祖父と祖父が宝城の野山を開墾して始まり、既に80年が過ぎた。
誰がどうみても日韓併合から始めただけのカスやんw >イルサンタバンサ(日常茶飯事)という言葉は、解釈すると、茶を飲んだりご飯を食べたりするように一般的なことという意味です。
それ日本語由来だと思うんだ >>66
これを中国人に知られるとまた思いっきり笑いものにされるよなあ 全く文化文明の無い国だから、何でもかんてをもパクりたいんだな。本当に哀れな国だな。 確実に日本に教わってるね
それ以前の伝統的な産地がないとかさ、、、、茶飲んでないだろw >>1
う、う…ん…日帝強占期とやらって何時だっけ?
> 「宝香茶園」は、尊い香りが漂う農場という意味だ。1937年、チェ・ヨンギ名人の曽祖父と祖父が宝城の野山を開墾して始まり、既に80年が過ぎた。
> しかし、日帝強占期を経て、私たちの茶文化が消えた。祭祀膳の茶は酒で、食後はコーヒーを飲むのが当然とされた。 水稲といい茶といい韓半島は温暖で作物が豊富ニダ!
??? >>77
なんかソウルのホテルで取引先のじいさんがタンポポやら松の実やらが浮いてるくっそ不味いのを飲んでた 昔の朝鮮人がゲロっていたけどな、
朝鮮には誇れる文化も芸術も何もない、だから火病が起きたんだと。 >朝鮮半島では、高麗時代までは茶文化がある程度普及して隆盛していたが、朝鮮王朝になると儒教を国教としたため、仏教文化である茶文化は仏教の禁圧と共に壊滅した。
Wikipedia「茶礼」より >>30
いやだから、あんたらの兄の国は北テョンだから!
こっち見んな!
と、釣られてみる。 >>61
インドベトナム雲南省あたりと言われてる
日当たりが良くて暖かくて冬でも霜が降りない地域だな
日本は茶の木を短く刈り込むのが主流だけど
中国とかインドは樹木として立てて育てるから樹齢数100年の古木がゴロゴロしてる
これがほんまの歴史のある茶産地てことやね >1937年、チェ・ヨンギ名人の曽祖父と祖父が宝城の野山を開墾して始まり
本場だという宝城緑茶も、せいぜい80年ちょっとの歴史
しかも1937年当時って、日本が統治していたとき・・・
それって、日本の茶葉栽培をパクったのでは・・・ 昔から韓国ではトンスルを飲んでいたのは間違いないが
お茶なんて韓国では飲んでないだろう >>80
イルサンタバンサで検索すると日本語だと伊藤って朝鮮人が愛用してるみたい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています