┃アジアトゥデー主筆

(写真)
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▲ イ・ヒョソン主筆
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今、ウリたち(我ら)の伝統文化が韓流(ハンリュ)という名前で世界的な脚光を浴びている。韓流は最初はポップ音楽、ドラマ、映画、ゲームから始まったが次第に他の分野にまで拡がり、現在では芸能、ウェブトゥーン、ファッション、ビューティー、韓食、韓服、韓国語など、韓国の文化全般へと拡大した。また各分野でもより様々なことが伝わり、韓流の一部として世界の人々に受け入れられている。こういった事ができるのは、これまで知られたり発見されなかった韓国の文化の悠久な伝統があるからである。

ウリたちの文化は長い歴史と伝統を持っている。国史は古朝鮮から半万年(5,000年)、新羅(シンラ)、高麗(コリョ)、朝鮮(チョソン)に繋がる韓半島(朝鮮半島)の統一王朝だけで2,000年だ。同一民族の王朝が続きながら安定して、平和な中文化を深く多様に発展させることができた。朝鮮半島の辺境では女真(ヨヂン)と倭寇(ウェグ)による略奪が頻繁に起きたが、国を滅亡させる危機に陥った外からの外侵(外国からの侵入)は高麗末のモンゴルの侵略と朝鮮中期の倭(ウェ)の侵略だけで、それらも程よく克服できた。清(チョン)による丙子胡乱(丙子の乱)は三田渡(サムヂョンド)の恥辱を受けたものの、王朝の存亡には何の脅威も受けなかった。

半万年を超える単一民族の歴史を持った韓半島が、外勢(外国の勢力)によって支配された期間は20世紀の日帝による35年間だけだ。当時日帝はウリたちの言葉と文字を禁じ、国史を歪曲して教育させ、ウリたちの固有文化を抹殺しようと弾圧した。だがしかし、日帝のそのような試みは成功しなかった。韓国の文化に対する自負心でウリたちのモノを固守し、日本の文化にウリたちが模範に値するモノがなかったからである。35年の支配と彼ら文化の強要にもかかわらず、彼らの文化がウリたちに影響を及ぼしたモノがほとんどないのはそのためだ。

ウリたちは断絶がなく、ウリたち固有の文化を継承して発展させてきた。中国を始めとし、周辺国から受け入れた文化も我が民族の技量と美的感覚でウリたちにより似合うモノにさらに昇華させた。そのためにウリたちは金属、石材、陶磁器、螺鈿、紙、印刷、瓦屋根、オンドル、衣装、食べ物などの生活文化を高水準に発展させてきた。ウリたちは東アジアで中国や日本とは別の、ウリたち固有の発展した文化を持つようになった。そしてウリたちの国力が高くなり、自然にそのような韓国の文化が伝わって、韓流として脚光を浴びるようになったのである。実は1900年前後に朝鮮を訪問したドイツ人のケンテ(Siegfried Genthe)、イギリス人のピショプ(Isabella Bird Bishop)、フランス人のパラ(Charles Barat)など、数多くの西洋人は韓国人の品性と文化を誉めていた。

ソース:アジアトゥデー(韓国語)
https://www.asiatoday.co.kr/view.php?key=20210425010014765

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