コロナが終わったら、花蓮(かれん、ホワリエン)に行こう。

 台湾の東海岸に面するこの街は、戦前は花蓮港市と呼ばれた。太魯閣(タロコ)観光の拠点として知られているくらいで、街中に取り立てて何かがあるというわけではないが古き面影が残り、最近は小洒落た建物も目立つようになった。市街地には、かつて港まで伸びていた線路の跡がそのまま残され、市民の憩いの場となっている。

 初めて訪ねたときから、この街にどことなく惹かれてしまった。そして何度か訪ねるうちに、かつて移り住んだ日本人の営みを知るようになった。

 4月2日に花蓮で特急列車が脱線して、50人の方が亡くなり、200人以上が負傷した。日本では、この悲惨な事故によって花蓮の名が一躍知られることになってしまったが、戦前に花蓮と日本の間に深い関わりがあったことは、ほとんど語られない。今回は、知られざる“花蓮開拓”の歴史を紹介したい。

過酷を極めた原野の開墾

 花蓮はもともと日本人がつくった街だ。

続きはソース先にて。(全5頁)

JBpress 2021.4.27(火)平井 敏晴
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65066

↓韓国で語られない普通の日本人の暮らし
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65066?page=2
↓『湾生回家』を読み耽る台湾の人々
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65066?page=3
↓山を切り崩して港を建設
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65066?page=4
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65066?page=5

(追記)鉄道事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、怪我をされた方々の1日も早いご回復をお祈り申し上げます。