「募集」という名の強制連行
 「募集」の最大の特徴は甘言であり,押し並べて詐欺・誘拐罪が成立する不法なものであったが,
ここでは,この名目による強制連行の迫真の証言として,佐賀県の北方炭砿に連行された櫛田優氏
(1913年5月29日生)の証言をまず挙げ,次いで,「官斡旋」の時期にも続けられた「募集」で三
菱長崎兵器製作所の住吉トンネル工事に夫とともに連行された石任順(ソク・イムスン)氏(1925
2 大原社会問題研究所雑誌 №687/2016.1
年11月3日生)の証言を取り上げたい。なお,「募集による強制連行は,内務省警保局の統計資料(『原
爆と朝鮮人』第1集,5頁)を基に約17,000人と推定される。

日本に行けば「遊んで,飯もたらふく食える」と
 この北方炭砿をはじめ多くの炭砿は,南(朝鮮)から連れてこられた者が多いが,私は平壌
(ピョンヤン)の町の真ん中から来た。そのとき,私と一緒に連れてこられたのは,100人で
ある。北方炭砿の労務係がやって来て,「日本に行けば,遊んで,飯もたらふく食える…」と
よかごと(結構づくめの意)を並べ立てた。初めは私も「行かん」といって頑張ったが,「よ
かごと」を言われた,その話に釣られてしまい,調子に乗って,「(日本へ)行く」と言ってし
まった。父親は,漢方医で,私も漢方ができた。これは日本で役に立った。私は長男で,姉二
人と弟がいた。そのとき父親は「お前,どうしても行くのか」と言って,私を強く叱りつけ,
びんたを張った。しかし,わたしは「男が一度言ったのだから,どうしても行く」と言った。(中
略)とにかく「募集」だった。1941(昭和16)年9月16日に,この北方炭砿に到着した。