【社会】 父さん母さん、あの時どんな思いで 薩摩焼の沈氏、400年越し墓参 [朝一から閉店までφ★]
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金浦=稲田清英
2022/7/10 8:00
鹿児島の薩摩焼宗家の沈家は初代・沈当吉を祖とし、15代にわたって陶工の伝統を継ぐ。その初代の父と母が眠る墓が大切に守られていることを知った15代沈壽官(ちんじゅかん)さん(62)が9日、初めての墓参に訪れた。
墓がある場所は、韓国のソウル近郊。初代は16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮半島から連れてこられたという経緯がある。
400年の歳月を超えた「息子」による両親の墓参りだ。高層ビルが立ち並ぶソウルから車でおよそ1時間、京畿道金浦市の緑豊かな田園地帯の一角にある墓。15代沈壽官さんは初代当吉の代理「名代」として訪ねた。
夏の日差しが照りつける中、15代沈壽官さんは集まった一族関係者らによる説明を熱心に聞き、花を手向けた。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASQ7966Y6Q77UHBI02F.html 待遇良すぎて残してきた親族まとめて呼び寄せた訳だが 知っていますか?
私たち日本人のおじいさんたちは少学生強姦殺人魔です
韓日三十六年戦争の際に日本が韓半島から五十万人の若く美しい小中学生をはじめとする少女たちを処女供出として強制連行し監禁し強姦し尽くして
最後は銃殺や生き埋めや生きたまま鎖につないでガソリンをかけて焼き殺すなどして証拠を隠滅
生存者はわずか400人ほどだったという史実に対して
平和少女像は祈りを込めて世界中で設置されています
慰安婦像という呼び方は誤り
日本を攻撃する意味はひとかけらもない
なお女性国際戦犯法廷は日王と日本国を
強姦及び性奴隷制度について人道に対する罪で有罪とする判決をくだしている
しかし菅糞大統領と愚王ナ★ヒトは100億ウォンの小銭でごまかそうとしている 何で韓国に媚びうるパフォーマンスやらされてるんだ
この茶番劇で、いくら貰えるんだろ
クソ朝日が金払ってやらせてそう >>1
先代と違って
当代は先祖返りともいうべきか
韓国にまででかけて教えにいっているからな。 陳壽官は屋号で本名は大迫一輝さん
きっとフェニックスに違いない 強制連行された訳じゃ無く、逆に待遇の良さに驚いて帰りたくないと言ってたらしいぞ なんで今墓参り?朝鮮半島に先祖の墓があるかどうかずっと探してたのかな >初代の父と母が眠る墓
ひどいネタ
昨今、作られたものだろう
下手くそな日用雑器を焼いていた当時の朝鮮の陶工なんてものは白丁みたいなものであり、
墓を残すような身分じゃなかったからな
韓国には侮日や恩着せ史観の偽史跡があちこちに作れている
そのうちの一つに相違なかろう >>10
ひょっとして、あの「俺は日本人だ!」の人の身内? 昔陶工の画像で現在の韓国とは関係ないってのなかった?
なんか逆になってない? 奴婢の身分から解放されてうれしかったんでない?
鎖国以前に誰も帰らなかったんでしょ? 奴隷扱いから上流階級へと昇格し超優遇されたジャパニーズドリームの開祖 初代の両親の墓は有るのかね?って疑問がないんだよな。 奴隷制度がある野蛮な後進国から、文化や伝統を重んじる先進国に来たら、帰りたくなくなるのも当然
悪いのは朝鮮半島が未開の地だったことで、反省すべきはそんな国を作ってた朝鮮人自身 過去の中に生まれ
過去の中を生き
過去の中に去ってゆく
それが朝鮮人 そんなに400年前の祖先が大事なら
いっそ帰国してもいいのでは
給料も韓国が高いんだろ >>1
沈壽官はもう韓国絡みのビジネスするしかないかね
ここまでくると
今は焼き物も厳しいっちゃ厳しいが
>>17
息子でしょ 日本人(ヤマトミンゾク)は大昔からコリアンに憧れていた
秀吉の朝鮮出兵も、日本よりも優れた文化を持つコリアンへの憧れと嫉妬の結果だと
国際的な歴史研究者達からは断言されている 「薩摩・朝鮮陶工村の四百年」
これ読んだら、薩摩藩も朝鮮人らに土地住居を与え士族へ取り立て藩主との直接交流はあった
だが日本人との通婚は厳禁とか区別政策を採った
朝鮮人陶工らの薩摩焼は江戸時代も明治後も地域ブランド >>32
半島とか大陸に一歩上陸した時点で
こりゃひでーところに来たと言ってたに違いない
今でも空港はそこそこきれいだが
街を歩くといろいろと日本と違う 家康が関ヶ原の後太閤の蛮行を謝罪して
帰国事業を展開したのに陶工のほとんどが拒否したんでしょ 被害者コスプレと妄想ストーリー作って
日本にゆすりたかり始めるんか? 鬼の由来は
山に住み着いた朝鮮が人を襲って食べた
だから鬼の話は全てがおとぎ話ってわけではない 400年も墓参りに行かなかったんだね
その時点でもうおかしいだろw 老舗が一件もない韓国、日本でなければ消滅してただろ。 >>35
それみるとなんだかんだで差別はされてたんかな >>32
過去の評価をいうなら
朝鮮半島は酷いところ
古事記にもそうかいてある そもそも朝鮮時代には絵付けの技術がなかったんじゃなかった?
磁器が作れるようになったらもう用なしのはずなのに日本は400年も厚遇を続けてたわけ? 400年も墓が残ってるのはすごいね
韓国なら親の墓すら分からなくなる事があるらしいのに 火の女神という韓国歴史ドラマあったな
秀吉みたいなのとかサムライみたいな変なのが結構出た 在チョン白丁が居座って帰らないのとまったく同じ事情 元寇に拐われた人々はどうなったん
それこそその頃の人の墓あると思うぞ じゃあ、もう韓国に帰れば良いと思う。
永六輔もそうだけどどうしてこいつら何代たっても先祖はーって言い続けるの?
職場にある苗字人がいて先祖は朝鮮通信師って年中自慢するんだが。お前らとは毛色が違うんだって言いたいんだろうかといつも思う。 >>16
俺も思った。当時の朝鮮では両班でもない陶工は
後世に残る墓を建てられるような身分じゃない >>45
ベネチアの職人と一緒なんじゃないかねぇ
技術流出を嫌った
自由がないといえはそうなんだけどその頃の職工なんてどこもみんな同じでは >>1
父さん母さん「日本最高!」
あれ?今と全然変わっていないwww >>60
朝鮮通信使を自慢できるって朝鮮学校出なの? 朝鮮から連れ帰りに役人が来たから徳川家康が帰りたい奴は自由に帰れと言われたのに殆ど帰らなかった人の子孫が今更墓参りとか笑える 出てきた情報すべてが最近作った話としか思えないのがすごい 文禄・慶長の役の時に、日本に連れてこられた朝鮮人捕虜は、朝鮮から最大の目的が捕虜返還にあった朝鮮聘礼使が日本に来て外交関係が復活した際に、自由に朝鮮に戻ることができるようになったのに、多くの人々は戻らず、日本に定着した。朝鮮人の多くは故郷では奴隷だったのが、日本にきて自由民になったからだ。特に日本に来た朝鮮人陶工達は成功し侍の身分に出世し、李参平は後に有田焼の始祖として神社に祀られて神になった。朝鮮聘礼使の説得に応じて小数が生まれた故郷の朝鮮に帰ったが、この人たちは元の奴隷に戻って激しく後悔した。
http://oboega-01.blog.jp/archives/1069339622.html
壬辰倭乱、丙子胡乱のとき、同じように捕虜の境遇だったが
バンダービルド
壬辰倭乱のときに日本に捕えられた朝鮮人捕虜は、後に戻るチャンスが十分に与えられたというのに、多くの人々は戻らず、日本に定着した。
一方で、丙子胡乱のときに中国に捕えられた朝鮮人捕虜たちは、莫大な身代金を支払ってまで中国を脱出しようとして限りない苦労をした。
朝鮮人捕虜にとって、中国は地獄だったが、日本は地獄ではなかったようだ。
それなのに今日は、多くの韓国人が中国に対して非常に熱い片思いをしていて(中国時代、慕華思想)、日本に対しての憎しみは無条件である。
今日地球上において、ここまで非正常で自尊心のない民族は他にないだろう。
ここまでくると、今日の中国が韓国を無視するのも無理はない。 奴婢で一生を終わる人が、陶祖として、崇められているんだからなあ。
あとからそれを聞いた親戚が周りに自慢するために墓を作ったんじゃね。 朝鮮人
ただの奴隷
日本人
人としてお付き合いするよ 文禄・慶長の役。秀吉の朝鮮出兵で朝鮮に渡った大名たちは、朝鮮の陶工を日本に
連れ帰り、陶器を焼かせた。
鍋島氏の有田焼、寺沢氏の唐津焼、毛利氏の萩焼などがそうであるが、島津氏の
薩摩焼もそうである。
島津氏は連れ帰った陶工たちを、主として領内の苗代川という土地に住まわせた。
薩摩では他の大名と違い、朝鮮人陶工たちに朝鮮にいたときと同じ生活をさせた。
朝鮮人だけで村を作らせ、祖先の祭祀もそのままにさせた。
そこでは言葉も衣服も髪型もそのままだった。
苗代川の陶工たちは武士身分ではなかったが、藩に大事にされ、差別を受けるような
ことは一切無かった。武士と同じように禄を与えられ(介抱高という)、さらに
陶器作りの収入もあって生活は豊かだった。
ところが明治維新の後から様子が変わってきた。
とくに、日本が日清戦争に勝ってからは、朝鮮人に対する態度がガラリと変わった。
陶工の村の周囲の村人から、お前たちがいるお陰で、俺たちまで朝鮮人と思われる、
迷惑だと言われるようになった。
江戸時代を知っている人たちがいる間はまだよかった。維新から年月を経るごとに
昔を知らない人ばかりになり、まるきりの朝鮮人扱いになった。 そこで苗代川という地名が変えられた。
美山という取って付けたような地名になった。
さらに、陶工たちは蔑視から免れるため、独自の行動を起こした。
士族の戸籍を買うのである。
鹿児島には士族がたくさんいた。もともと武士が全人口の70%を占めていたといわれる
土地柄である。さらに、西南の役で男手を失い、貧窮に陥ったままの士族家庭も多かった。
戸籍を買うというのは、具体的には養子に入るのであるが、当時は入籍などはいい加減で、
間に立つ人がいればお互いに顔も見ないで手続が出来てしまったという。
間に立つのは代書屋であった。
戸籍を買って士族になるというのは陶工村の住人のブームのようになり、ほとんど全員が
そのようにした(ただ一人、朝鮮名のままで横浜で成功した人がいるという)。
現在、朝鮮人陶工の子孫だといって朝鮮名を名乗っている陶芸家が何人もいるが、それは
商標として使っているのである。
みなとっくの昔に日本名になっている。
最も有名と思われる沈壽官(ちんじゅかん)という陶芸家もそうである。
現在の当主は第15世、その父親の14世沈壽官は司馬遼太郎の著作にも取り上げられ、
韓国でも名士であった。
14世・15世ともに日韓のシンポジウムなどにも出席している。
15世は韓国ではシム・スグァンと名乗っていて、韓国の大学の客員教授もしている。
しかしこの家は明治の終わり頃に大迫(おおさこ)という姓に代わっている。
その時に士族にもなっている。14世は大迫恵吉、15世は一輝という名である。 Amazon 故郷忘じがたく候(司馬遼太郎、文春文庫)のカスタマーレビュー
「5つ星のうち2.0 私は50年間騙されていたのか
2019年6月24日に日本でレビュー済み
先日、沈寿官氏が亡くなられたと言う報に接して、改めて、本書に関する情報を得んと、
ネットを渡り歩いていたら、驚愕のサイトに出会ってしまった。
本書に書かれている内容の多くは虚偽乃至捏造だと言うのだ。俄かには信じ難かったが、
読み進むうちに、さもありなんと納得させられてしまった。
沈壽官氏の作陶技術についての疑問符も然りだが、一番驚かされたのは、氏が、
旧制中学校に入学した時のエピソードが虚偽だったと言うことだ。
朝鮮人と言うことがわかって上級生からリンチを受けたと言う有名な下りだ。
教員時代、私も何度も引用させてもらい、生徒に語ったものだ。
このエピソードは真っ赤な嘘だと言うのだ。氏は当時、吉本と言う日本の姓を名乗っており、
朝鮮人だと上級生が知るはずもないと。
念のため、他のサイトも覗いて見たが、同じような記述がなされていた。
当の鹿児島二中のOBの方々からは抗議の声も上がっていたと。
これらの記述の日時を見ると、既に10年近く前ではないか。
否、これらの指摘は、ずっと以前からなされていたと。
ネットに不得手な私のような老境の人間には知る術もなかったわけだ。
これが事実とすると、私の50年近くの人生とは何だったのかと思わざるを得ない。
人間、長生きするものではない、と言う格言がふと頭をよぎった。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています」 チョンコはちょっと調べりゃすぐバレる見え透いた与太話を盛るから信用に値しないんだよ この沈寿官窯というのは、遅くとも13代目には焼き物など作っていなかった。
ブローカーというか薩摩焼の販売店にすぎないのではないか。
14代が鹿児島二中に入学したときに暴行を受けたという「エピソード」が
「故郷忘じがたく候」の最初の方にあるが
これは全くの司馬遼太郎の創作。
入学早々、教室にすぐ上級の者が数人はいってきて、
「このクラスに朝鮮人が居っとじゃろ。手をあげい」とわめいた。(同書四十ぺージ)。
上級生たちは「新人生名簿によって韓姓の少年がいることを知っただけであるし
(同書四一ぺージ)。その後、上級生たちは「沈少年が名乗らなかったということで、
少年たちは激昂した。精神を注入してやる、と吼え、沈少年を教室のそとへ出し、
屋上へつれてゆき、十人ほどが寄ってたかって殴った」(同書四二ぺージ)
沈少年が家に帰ると、両親が門口に立っていた。
少年を待っていたのだ。
両親は何もかも分かっていて、黙って出迎えた。
そして三人黙ったまま家に入った。
というのだが、こんなのも勿論創作。 司馬遼太郎 故郷忘じがたく候 を扱ったブログ
https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201609080000/
司馬さんの語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。
p41~46
私事になる。
韓神玉山宮の鎮まるあの丘に登って東シナ海をながめてみたいという思いが日ごとにつのったが、
春のはじめはどうにも予定がつかず、春の終わりになってやっと家を出ることができた。
飛行機はやや遅れて鹿児島飛行場についた。陽が傾くと色が変わるという桜島が、すでに辰砂のような
肌をみせはじめている時であった。
私は、いそいだ。市内を通りすぎて西へゆき、あの無名峠を越えて苗代川の村に入ったときは、すでに
夕方近かった。
沈寿官氏は待っていてくれたが、待ちくたびれて窯場に入ったという。私は、あの中庭に面した座敷で
待たせてもらうことにした。臥竜梅はすでに葉がしげり、下枝のほうの葉には毛虫がついていた。
座敷には、次室がついている。次室の壁に当主の父にあたられる十三代沈寿官氏の写真がかかっていた。
この十三代翁については、さきに苗代川にきたとき、十四代の当主である沈さんから聞くことが多かった。
(中略)
沈寿官氏は、苗代川小学校を出て六里むこうの鹿児島市内にある旧制二中に入学した。
入学早々、教室にすぐ上級の者が数人入ってきて 「このクラスに挑戦人の居っとじゃろ。手をあげい」
と、わめいた。
沈少年が手をあげなかったのは、かれは自分が日本人でないなど夢にも思ったことがなかったからである。
かれが出た村の小さな小学校はすべて村民の子弟のものであり、そこでの教育は日本の他の小学校と
かわりがなく、無いばかりでなく、この苗代川小学校は学童の平均学力は県下第一であり、学校では
「わが学校は小なりといえども日本一の小学校である」と学童に教えてきた。しかも村中のほとんどの家は
士族であり、この大戦の終了まで士族が権威をもちつづけてきたこの県にあっては、苗代川村民であることは
むしろ選民であると思っていた。
ついでながら、旧幕から維新にかけて苗代川郷士は薩軍のなかに組み入れられ、官軍苗代川小隊として
戊辰戦争に従軍し、はるか東北にまで転戦している。
(以下、屋上へ行って殴られる描写)
※苗代川村民が士族なのは士族の戸籍を買ったからである。司馬遼太郎はここを知ってか知らずか
もともと士族だったように書いている。 祖国に帰国して韓国人として人生を送るべきだと思うけどなあ? そもそも沈寿官の名前だって
初代から12代まで伝わってないし
14代なんて焼き物の勉強すらしていなかった
司馬遼太郎作品の創作のおかげでしかない
「故郷忘れじがたく候」内では14代が通った旧制中学で朝鮮人いじめがあったらしいが
それに対して学校の同窓生は事実無根と激オコ
15代もその旧制中学の後継校出身だが、同窓会からはあまり相手にされてない >>14
朝鮮はモンゴルと対馬や北九州を侵略したんだが 薩摩焼の売物で沈寿官の名前で高く売ってるけど
他でもっと良いものがたくさんあるんだけどねー 田舎なんで差別はあるし連れてきた責任もあるし薩摩藩が朝鮮人を保護する法を作ったんだが
それを盾に朝鮮人が暴れまわるといういつものパターンだったみたいよ >>87
きてやった蒙古と朝鮮を追い払ったことを「悪いこと」と信じて疑ってない可能性 子孫とか当代でいいのになんで「息子」呼ばわりなん妙にお涙頂戴にして気持ち悪い
とおもったらまた朝日か >>91
来た使者を問答無用で叩き斬ったのはまぁ悪かったかも?w 日本で良いもの喰いやがって、この親不孝者!
って思われてるぞ、ホロンの諸君 韓国嫌いだけど沈さん腰低くて凄い良い人だったよ。
頭にタオル巻いて仕事中わざわざ挨拶しに来てくれた。 400年前なんて、半島はマトモに機能してなくて、陶工なんて最下層の扱い
日本が保護すると言ったら、喜んで付いてきたんだがな >父さん母さん、あの時どんな思いで
奴隷から逃れられて職人として人生全うできて喜んでたんじゃね
というか母さん、って強制的に連れて行かれたのに嫁子供もついて来れたの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています