拠出総額約3兆6600億円: 対中国ODA 42年の歴史に幕

日本の対中国ODAで整備された施設前で地元幹部(左)に感謝される丹羽宇一郎駐中国大使(当時)=2011年06月24日、中国新疆ウイグル自治区アトシュ市(時事)(写真=時事)
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北京空港で出迎えの華国鋒・中国首相(右)と握手する大平正芳首相(中国・北京)1979年12月5日(時事)
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1979年から始まった中国への政府開発援助(ODA)は2022年3月で終了した。42年の長きにわたって続けられたODAはどのように拠出され、どう活用されたのか。その歴史と意義について総括する。

【ODAは事実上の戦後賠償】

日本が中国に対して行なっていたODAが2022年3月末、42年間の歴史に幕を下ろした。ODAは中国の経済発展を支えて日中の結びつきを強めた半面、援助を続ける必要性や中国政府が国民への周知を怠っていることなどを巡って批判も受けてきた。

外務省国際協力局と国際協力機構(JICA)によると、42年間で、日本が低金利で長期に資金を貸す「円借款」が約3兆3165億円、無償でお金を供与する「無償資金協力」は約1576億円。このほか日本語教師派遣などの「技術協力」約1858億円を合わせて拠出した総額は、約3兆6600億円にのぼる。円借款については、中国から予定通りに利子を含めて返済されており、最後の返済期限は2047年という。

対中ODAが始まったのは1979年。同年9月に訪日した谷牧副総理が日本政府に対し、8件のプロジェクトからなる総額 55.4億ドルの円借款を要請。日本は中国が78年に改革開放政策に踏み切ったことを踏まえ、79年12月に大平正芳首相が訪中し、「より豊かな中国の出現がよりよき世界につながる」と述べ、79年度から支援を開始。これが中国に対して西側から初めて供与されるODAとなった。

日本が踏み切った背景には、中国が戦後賠償を放棄した「見返り」との性質もあったとされる。大平元首相の孫で、一般社団法人日中健康産業振興協会副会長の森田光一氏によると、首相は当時、娘婿で元運輸大臣の森田一氏(光一氏の父)に「対中ODAには戦争の償いという意味合いがあり、中国が戦後賠償を放棄する代わりに日本が経済援助をするものである。ただし、いずれ中国は経済大国となり、日本を凌駕(りょうが)するだろう。そうなれば日中外交は相当難しくなる。日本はその覚悟を持って支援しなければならない」と話していたという。

日本政府が単なる途上国援助ではなく、事実上の戦後賠償と位置づけ、改革開放政策の後押しが、アジアひいては世界の安定につながると考えていたことがうかがえる。

大平元首相の予言どおり、中国は飛躍的な成長を遂げ、2010年には国内総生産(GDP)で日本を抜いて世界第2位の経済大国となった。さらにアフリカなどに戦略的な開発援助を始め、右肩上がりで軍拡を進めるなど、軍事大国の道も歩み続けている。日本政府が発展途上国を脱した中国に「(途上国支援の)一定の役割を終えた」として無償資金協力に終止符を打つのは06年。07年には円借款を打ち切った。

しかし、それ以降も技術協力は続けた。21世紀には日本への影響も懸念される大気汚染を中心とした越境公害や感染症、食品の安全など中国との協力の必要性が認められる事業や中国進出日本企業が円滑に活動するため中国の法律に関する事業などで支援が続けられた。

(以下は、省略)
【国際空港や総合病院建設にも貢献】
【安倍元首相の決断で歴史に幕】

nippon.com
https://news.yahoo.co.jp/articles/3021bf09b8669f02c71b782ac42b4fe4f72a5a7f
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