朝鮮半島出身の労働者と家族らを乗せた海軍輸送艦浮島丸が京都府の舞鶴湾で爆没した事件で、韓国の生存者と遺族ら80人が1992年、日本政府に謝罪と賠償を求めて京都地裁に提訴。原告のうち17人が祐天寺にある遺骨19柱の返還も求めた。国は遺骨を返還する方針を原告側に伝え、訴訟外で和解交渉が行われた。

【写真】米軍が撮影、舞鶴湾に沈んだ浮島丸
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この際、国は祐天寺にある遺骨は「死没者名簿に合わせて524人分に振り分けた混骨」と明らかにした。和解交渉は、原告団長(故人)が「混骨を承知の上で受け取るには、国のお悔やみの言葉が必要。国は遺族の心情を考慮しないのか」とし、遺骨の受け取り拒否を表明して決裂した。


 2001年の一審京都地裁判決は国の安全配慮義務違反を認めて賠償を命じる一方、謝罪請求は却下した。二審で逆転敗訴、04年に最高裁で上告が棄却され、判決が確定した。

 日本政府は米軍の機雷と誤って接触したことが爆発原因と説明するが、韓国では日本側が故意に爆破したとの見方もある。韓国では浮島丸事件や在日朝鮮人の被爆実態など強制動員被害の真相を究明するための特別法を施行している。

 厚生省(当時)は1971年、浮島丸事件犠牲者の遺骨521柱を祐天寺に預託。76年までに一部が韓国に返還されたが、現在も280柱が祖国に帰ることができていない。北朝鮮地域の遺骨もあり、全面返還への道は平たんではない。

12/19(月) 15:06配信
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