[決定的一端] ②ヤクルト「65ml」に込められた秘密
・日本の技術提携で導入…独自化成功
・冷蔵施設の不備で65mlの小容量を決定
・100億個保障…生存率高い菌株

(…省略) 同じメニューなのに食堂ごとに味が違うことが、たまに不思議に思う時があります。キムチのように名前が同じだけで、材料が千差万別なのでそういう時もありますが、似たような材料を使う時でも、あるところは美味店になり、あるところは星一つも惜しい店になることがあります。同じ材料、同じ調理道具を使っても料理をする人のノウハウと技術が違うからでしょう。材料の99%が同じなら、残りの1%が「一端」の差を生み出します。

私たちが何も考えずに買って食べている食品にも数百、数千人の努力と苦悶が込められています。似たような製品の間で数十年以上「国民飲料」の座を守ってきた人気製品なら、なおさらでしょう。今回の決定的一端の主人公であるhyの「ヤクルト」がまさにそのような製品です。65mlの小さなボトルの中に隠されたヤクルトの秘密、今から一度掘り下げていきましょう。

-ヨーグルトじゃないですよね。 「ヤクルト」、そうです。

ヤクルトの歴史はつまり大韓民国発酵乳の歴史です。大人は今でもヤクルトに似通った乳酸菌発酵乳を見ると、みんな「ヤクルト」と呼ぶ方が多いですよね。それほど、hyのヤクルトが生活の中に根付いて刻まれたブランドだという証拠です。

ヤクルトは単純に「ヨゴトゥまたはヨーグルト(yogurt)」の日本式発音としか考えられませんが、私たちが最近飲んでいる牛乳をベースにしたヨゴトゥとヤクルトは混用して使えません。ヤクルトは日本ヤクルト社が開発した、脱脂粉乳に乳酸菌と糖を入れて作った製品にのみ使える名前だからです。

ヤクルトは韓国内では60年代末、韓国ヤクルト(現hy)が日本ヤクルトとの技術提携を通じて1971年から生産しています。最初は「ヨゴトゥ」を日本式に読んだ名前でしたが、「脱脂粉乳で作った発酵乳ブランド」として人気を得て、固有名詞になったのです。

ところがヤクルトと似た液状型発酵乳が「ヤグルト」という名前で販売され、韓国内では「液状型発酵乳=ヤクルトあるいはヨーグルト」と呼ぶ公式が成立しました。このため、後に出た「濃厚発酵乳」系列は「ヨゴトゥ」と別に分類します。

-日本を克服する

ヤクルトは日本で始まりましたが、単純に日本製品を持ち込んで販売したわけではありません。発売前である1970年、ヤクルトの試作品が生産されましたが、当時は販売のための製品登録と法的基準が不十分でした。それだけ韓国内には馴染みのない製品だったのです。担当機関さえ決められず、やっと農水産部で管掌することになりました。しかし、始めてみると発酵乳の乳酸菌が規格に合うかを検証する技術すら不足した状況でした。

そのため、検査のために取ったヤクルトから乳酸菌が検出されないという通報を受け、職員が直接検査機関を訪問して菌数を確認し測定する技術を伝授するという笑えないハプニングもあったそうです。そのくらい当時、韓国の乳加工分野の技術力が立ち遅れた状態だったということです。そのため、hyも乳酸菌製造技術力と生産施設を日本からの提供を受けるしかありませんでした。

何とか初期生産は解決しましたが、独自技術なしに外部に依存しては企業の成長を保証することはできません。hyはすぐさま乳酸菌の韓国産化を推進します。ソウル大方洞(デバンドン)の荷置場にコンテナを設置して研究を始め、1976年には研究室を研究所に昇格しました。その後、食品業界で初の企業付設研究所である「中央研究所」を設立しました。

投資の結実は1981年に結ばれます。 自主的にヤクルト種菌培養に成功、日本の助けなしに種菌を製造・供給できるようになりました。第2のステップは「独自菌株」の開発でした。10年間の研究の末に、1995年に独自の菌株である「ビピダス乳酸菌株」の開発に成功します。この菌株を使った最初の製品が、食べる発酵乳「スーパー100」です。現在hyが作る全ての製品には韓国産菌株を使用しています。代表的な「克日」の事例であるわけです。

ビジネスウォッチ(韓国語)
https://n.news.naver.com/mnews/article/648/0000013252