ー前略ー
統一教会「空白の30年」の教訓

 空白の30年──そんな言い回しを最近よく聞く。現在は世界平和統一家庭連合と名称を変えた旧統一教会を長年追及してきた前参院議員でジャーナリストの有田芳生氏が発した言葉らしい。
教団の反社会性など以前も今もさほど変わらないのに、30年の長きにわたって社会やメディアが関心を失い──もっと正確に言えば、
払うべき関心を払わずに被害が継続し、元首相が白昼銃殺される事件まで引き起こされたのではないか、と。

ー中略ー
自称愛国者の薄っぺらな仮面

 私が書けば皮肉に受け取られるかもしれないが、しかし、決して皮肉ではなく、どうにも解せないでいる。
いや、解せないというより、物事の本質が見事に露になってしまったと書けば、やはりこれは皮肉と受けとられてしまうだろうか。

 憲政史上最長の政権を率いた元首相が白昼銃殺されて間もなく3ヶ月。その政治スタイルや所作振る舞いからアンチが相当数いるのは当然にせよ、
彼を熱心に持ちあげていた人びと、熱烈に支持していた人びとは、いったいいま何を考えているのか。
なぜ事件の原因を徹底解明しようとせず、解明せよと叫び声を上げることさえせず、嵐が通り過ぎるのを待つかのようにただ首をすくめているのか。

 すでに報じられている通り、元首相を銃殺した男は、カルト教団に人生を破壊された遺恨が犯行の動機だと供述し、メディアの関心は政治と教団の関係に集中している。

 なるほど、たしかにこの国の戦後政界の一部はそのカルト教団と怪しい蜜月を築き、まるで共依存のような関係を続け、それが教団の活動に一種のお墨つきを与え、
近年は元首相がその中心的存在の1人だったのは間違いないらしい。だが、だからといって元首相が銃殺されて構わないはずはない。殺害を容認することなど断じてできはしない。

 だから、真摯に考える。元首相はいったいなぜ、殺害されてしまったのかを。この国の憲政史上最長の政権を率いた元首相が白昼銃殺されるという重大事は、いったいなぜ起きてしまったのかを。

 もちろん、警察の警備の手抜かりといった直接的な瑕疵も見逃すことはできない。それはそれとして徹底検証が必要な課題であり、すでに警察庁長官らが事実上の引責辞任に追い込まれてもいる。

 しかし、根本的な要因にまで眼を凝らせば、元首相を殺そうと思い詰めるまでに1人の男を追い込んだカルト教団の反社会性に行き当たる。
しかもカルト教団によって苦悶の底に突き落とされたのは決して彼1人でなく、現実には何百、何千、何万もの被害者が存在することも私たちはあらためて知らされた。
さらにいえば、そのカルト教団の実態が極度に反社会的なだけでなく、相当に“反日的”な教義を内部に抱えていたことも──。

 ならば、反省すべきは反省し、同時に腹の底から憤らなければならない。野放しにされたカルト教団によって夥しい数の被害者が生み出され続け、ついには元首相が銃殺される重大事件まで引き起こされてしまったことを。

嵐が過ぎるのを待つ者たちへ

 元首相の政治思想や政治姿勢には微塵も賛意を覚えなかった私ですら憤りを抱くのだから、元首相の姿勢や各種政策を高く評価し、
再登板すら望んでいた者たちは、その元首相が理不尽に殺されてしまったことを心底嘆き、強く憤り、猛り、その原因となったカルト教団に満身の怒りをぶつけて当然ではないのか。

 なのに、現実はどうか。元首相をひたすら称揚して追随していた者たち――特に政界の追随者たちは、教団との関係を追及されて自らに火の粉がかかるのを恐れ、
まさに嵐が過ぎ去るのを待つかのように首をすくめているのみ。一部の追従者は教団との関係をメディアに追及され、「知らなかった」「指摘されて初めて知った」などとトボけるだけ。
ー後略ー

全文はソースから
青木 理(ジャーナリスト) 3/27(月) 6:03配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d2da201ff73d64d9ee337ef7e52484436cc17b6b